〜序章〜


ブランカの北の山間に、ひっそりと隠れ里が在った。

そこは、やがて迎える[伝説の勇者]の為に作られた約束の地。

まるで導かれるよう集ったその土地に、小さな集落が築かれたのは凡そ半年前。

その昔王国に仕える賢者として知られたノーム老師を長に据え、里の刻が始まった。



翠髪の勇者が生まれた―――!!



老賢者と共にやって来た老占い師が、その水晶に映し出された輝きを、そう読み解いた。



それから3日後。

里の中央に在る花畑の真ん中で、すやすや眠る赤子が、エルフの子供シンシアによって

発見された。

真っ白な産着を包む白銀の織物には『ローナ』と金の刺繍が施されている。

「‥ろ‥ーな。ローナだって、この子。」

慎重に赤ん坊を抱き上げて、子供特有の甲高い声が里に響いた。

声を聞き付けた大人達がわらわらと駆け寄って来る。

「シンシア‥! その赤ん坊は‥!」

「うん‥! きっとでんせつのゆーしゃなんだよ! きれいなみどりのかみだもん!」



歓声に涌く人だかりから離れて。

老占い師は里の結界を侵した者を確認すべく、その外れへと急いでいた。

はあ…はあ…

胸苦しさに顔を歪めながら、老女は走る。

木立の向こうから、か細い赤子の声を聴き止めて、更に歩を速めた。

ほえぁ‥ほえぁ‥‥

「こ‥これは‥‥一体…!?」

茂みをかき分けると、生まれて間もない赤子が薄紅の花片の揺り籠の中、真白な産着を纏

い泣いていた。緑の髪の赤ん坊。けれど…

老女は来た道を振り返った。先程の歓声は、約束の子の到来が齎したものではないのか?

「…アレス。‥赤子の名か。」

途惑いながら、そっと抱き上げた老女が、産着に刻まれた金の印を読み上げた。



――翠の髪の赤ん坊が2人。その日里へ舞い降りた。







深緑の髪・濃紺の瞳を持つ男の子――アレス。

さらさら流れる髪に強い意志を感じさせる眸は、時に大人を威圧する程の気難しさを秘め

ている。



翠の髪・蒼紫の瞳を持つ女の子――ローナ。

クルクルした巻き毛が、コロコロと表情を変える愛らしい顔立ちを引き立てて、よく泣き、

笑った。



赤子は里親に引き取られ、双子として、以降育てられるコトになる。




1



「…ねむれないのか?」

1つベッドに枕を並べて横になったアレスとローナ。

常ならばすぐに寝付くローナが、なかなか寝付けない様子で寝返りを繰り返しているのを

案じるように、小さな声でアレスが訊ねた。

それは、[伝説の勇者]について、2人の大親友シンシアから聞かされた晩の事だった。

「う…ん。‥ゆーしゃってさ。なんだかこわいの…。」

シンシアはなにも語らなかったが。その表情から何か重いモノを感じ取ったらしい彼女が、

ぽつんと不安をこぼす。

「だいじょーぶさ。ロナのコトはちゃんとおれが守ってやるから。」

きゅっと小さな手を握り込んで、アレスがにっこり頼もしげに笑う。

「ほんと…?」

「ああ。だっておれたちずっと一緒だもん。」

「うん、そーだね。じゃあね、ロナもアレス守ってあげるよ。」

アレスの微笑に不安を飛ばした彼女が、ふうわり笑んだ。

「‥おれはいっぱい強くなる。ロナがいたら強くなれそうだ。」

ローナの言葉に気を良くしたアレスが、決意を新たに宣言する。

「うん。ロナもね、アレスがいたらこわくないよ。」

ふふふ…とローナが笑って、嬉しげなアレスが微笑み返した。

小さな少年と少女の、幼いけれど、確かな約束―――





そして時間は流れて―――





「やあ〜っ!」

「まいった‥!」

剣を弾かれた壮年の剣士が白旗を上げる。打ち込もうと構えていた深緑髪の青年が、剣を

下ろし頬を伝う汗を無造作に拭った。

アレス‥16歳。さらりと風になびく髪は肩にかかる程伸びている。それを邪魔そうに掻

き上げて、大きく息を吐いた。

「ここんとこ急激に腕を上げたな、アレス。」

乱れた呼吸を整えながら、剣の師匠であるシドがにかっと笑った。

「そうかな。まだまだシドの腕には敵わないと思うけど…」

「そうあっさり追い抜かれては堪らん。お前の何倍も修練積んでるんだからなあ‥」

「あはは。それもそうだな。」

「だが…それも時間の問題だろうな。」

少々真面目な顔付きで、シドがぽつっと口にする。

アレスは彼の隣に腰を下ろすと、続く言葉を待った。

「お前はきっと俺を大きく越える。それだけの力をお前は秘めているんだ。」

「…勇者‥か?」

ムスっとした表情で、うんざりげにアレスは返した。

「だが…あんたらだって、真実のところは解ってないんだろう?」

幼い頃は双子と信じていたものだが。優しい両親が本当は血の繋がらない人間だと言う事

も、ローナと自分が別々の場所で見つけられた事も知っている。



勇者が2人――同じ日に里へやって来た2人の赤子。



どちらも伝説の《勇者》なのか。それとも‥どちらかなのか。

1人だとすれば、それはどちらなのか…答えは未だに出て居ない。



「正直俺は勇者なんてどーでもいい。ただ、ロナを護りたいだけだ。あいつを危険な目に

 遭わせたくねー。ただ‥それだけだ。」

「相変わらずだな。ま、そんな所も俺は結構気に入ってるがな。」

「ノームの爺さんは不満らしいぜ?」

「ははは。お前の目が常に喧嘩売ってるせいだろ、それは。」

「なんだよ、それ。‥勝手に周囲が怯えてるだけだって。俺は何もしてねー。」

少年から青年に成長して行くにつれ、人とは違う力の片鱗を見せるようになったアレスは、

生来の気質と相俟って、どうにも里人から敬遠されがちになって行った。

変わらず接して来るのは、幼い頃から共にあるローナとシンシア。父とこの剣士くらい。

里の者すべてから愛されているローナとは対照的に、どこか昏い眸を持つ彼は、どこか恐

れられている風でも在った。



「アーレース!」

丘から大きく手を振る影にアレスが目を細めた。

「おう! じゃ、今日の訓練終わりだな。俺行くぜ。」

その手に小さく答えた後、隣に居る剣の師匠に声をかけるアレス。先程まで浮かべていた

不機嫌さは、もうどこにも見えない。

シドは肩を竦めて返すと、ひらひら手を振って了承を示した。

独りの時は周囲にある者を射竦めさせるような雰囲気を纏うアレスも、ローナには敵わな

いとばかりに和らいだ笑みを称える。

彼は足早に彼女の元へ向かうと、クルンとカールした柔らかな翠髪を撫ぜた。

「もう稽古終わったのか?」

「うん。今日はね‥剣と魔法のコンビネーション、褒められたのよ、私。」

「そっか。ロナは器用だもんな。でも…」

「無理はするなよ‥でしょ?」

アレスの言葉を先回りしたローナがふふ‥と微笑んだ。

「そーいうコト。お前はすぐ無茶するからな。」

「あら‥。でももう、木から落ちたりなんかしないわよ?」

「…そっちの心配はいらなくなったが。別の心配増やしてるからな、お前は。」

やれやれ‥といった面持ちで吐くアレスに、ローナがむう‥と頬を膨らませる。

「なによお。アレスの方が余程問題ありじゃな〜い。あなたを怒らせた‥って、おばさん

 達ビクビク謝って来たわよ、私に。」

「怒らせた〜? 知らねーよ、そんなコト‥」

「うん、だと思った。だから言っといたわよ。彼の目付き悪いのは生まれつきだから、

 あんまり気にしないで‥って。」

「どうせ愛想ねえよ、俺は。」

「んもう‥。いつもそやって笑えばいいのに。」

にっかと悪戯っぽく笑う顔に手を添えて、ローナが残念そうにこぼす。

「アレス‥笑うと優しい顔になるんだもの。もったいないわ‥」

「俺はロナだけ居ればいいからな。」

スッと彼女の腰を抱き寄せて、囁くよう耳元にそっと落とす。

ローナはさっと頬に朱を走らせると、コテンと彼の肩に頭を委ねた。

「本当…不器用ね‥」

「‥お前の器用さでカバー出来るさ。」

「クスクス‥やっぱり2人でやっと一人前ね、私たち。」

「…ああ。」

「ずっと…一緒だよね?」

ふと不安を浮かべて、ローナが彼を仰ぎ見た。

「ああ。」

「‥本当の双子じゃなくても? …ずっと居てくれる?」

「ああ。」

アレスが彼女の頭を腕で寄せる。

血の繋がりのない家族だという事実をローナが知ったのは、5年前。

己の出生に酷くショックを受けた彼女は、しばらくアレス以外の人間を拒絶し、一時内に

籠もってしまった程だった。

「‥あの時も言ったが。俺はお前と兄妹でなくて良かったと思ってる。

 その意味…もうお前にも解るだろう?」

「アレス…」

こくん‥とローナが頷いた。

「それでも…ずっと側に居てくれるんだよね?」

「ああ‥お前を護る‥そう言っただろう?」

「…私もよ。アレスを護るの。ずっと一緒に居ようね‥?」

不安に揺らぐ瞳を、アレスが怪訝そうに窺う。

「‥どうした? 何かあったのか…?」

ローナは緩く首を振って否定を示すと、ぽそりとこぼした。

「…夢をね、見たの。里が火に染まって‥すべてが焼け落ちた中に、私は独りで居るの‥」

「ローナ‥。夢‥だろう、それは。ノームの爺さんの話聞いたせいだよ、きっと。

 俺はお前の側に居る。ほら…伝わるだろう?」

彼女の頬を両手のひらで包み込み、ゆっくり力を込める。しっかりと伝わる感触に、ロー

ナはほお‥と吐息をついた。

「‥うん。温かい…アレスの手だ‥」

ふわりと綻ぶ顔を、アレスが上げさせる。ローナはまっすぐ向けられた眼差しに瞳を潤ま

せた。ゆっくり蒼紫の瞳を綴じた。ほんのり染まった頬に、薄紅色の唇‥それが微かに悸

えてるのを愛おしく思いながら、アレスは唇を重ねさせた。

「…アレス。」

静かにそれが離れると、ローナは目元を染めて深い紺色の瞳を見つめた。

「大好きだよ。」

「‥俺もだ。だからずっと‥側に居るよ。」

「うん。」

温かな笑味に微笑が返る。ローナは彼の胸にもたれかかると、安堵の吐息をついた。

そんな彼女を静かに抱き寄せて、微睡む影が1つ長く伸びていった。




「どうしたの、アレス?」

丘の上にぽつんと腰掛けて、難しい顔をしている彼に、柔らかな声がかけられた。

「‥シンシア。」

「ロナは一緒じゃないのね? それで不機嫌なの‥?」

微苦笑したシンシアが、更に不機嫌顔を浮かべる彼の隣へと腰を下ろした。

「‥今日は料理の勉強だとさ。せっかくの休みなのに、母さんに取られちまった。」

「クスクス‥。やっぱり不機嫌の理由はそれなんだ。でもね‥ロナが今日教わるメニュー

知ってる?」

「…それも内緒だって、教えてくれねーんだ。ロナの奴‥俺に隠し事なんて…」

「それでここでいじけてたの? アレスも案外子供っぽいわねえ‥。」

「べ‥別に、そんなんじゃねーよ。…ただ‥さ。この間‥あいつ妙なコト言ってたから、

 なんだか気に罹ってさ…」

カッと頬を赤く染めた後、躊躇いがちにアレスが切り出した。

「シンシアは‥何か聞いてねえ? ‥その‥あいつの不安とか‥さ。」

「不安…?」

「‥ああ。時々‥魘されてるんだ、あいつ。‥独り残される夢…見てるらしい。」

「アレス‥。それは‥‥‥」

シンシアが眉を曇らせ、口ごもらせた。

「…それと関連するのか判らないけれど。少しね‥予感めいたものが、私にもあるの。」

ぽつんと彼女がこぼす。アレスは黙ったまま続きを待った。

「‥あなた達の旅立ちが…嵐の中で始まるような。…酷く落ち着かない予感‥」

「嵐‥か。」

「あ‥ごめんなさい。不安を煽るような事言って‥。ただの杞憂かも知れないのだけど。

 それでも‥もしもの時の為に、聞いて欲しいの‥‥」