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静かな夜の村に妙な絶叫が鳴り響いたその頃。

「ああ‥シンシアちゃんてば、本気だったのねえ‥」

湯船に浸かって暢気に呟くマーニャに、ミネアもにこにこ笑うのだった。



そして再び気球の隣で。

オロオロと困った熊のように歩き回るソロに、シンシアがトントンと背中を叩いた。

「ソ・ロ。じゃ〜ん、これ分かる?」

メダパニ状態の彼に、シンシアが徐に取り出したそれは‥

「水着‥?」

「正解〜。マーニャがね、明日の備えにって買って来てくれたの。」

「明日の備えって‥」

「海や湖で泳ぐ時にこれ着るんですって?

 これ着たらお風呂も恥ずかしくないんでしょう?」

ウキウキ話すシンシアに、ソロが冷静さを取り戻して行く。

「‥って、マーニャが?」

「ええそう。‥違うの?」

「間違ってはない‥(と思うけど)」

温泉で遊ぶ時にも着用する事は確かにあったが。狭い風呂でも着るものかは微妙だと、

ソロが神妙に返した。

「ソロは‥私と一緒じゃ、嫌?」

寂しそうに訊くシンシアに、ソロが慌てる。

「いや! そういう意味じゃないんだ。ってか、シンシア本当にそれでいいの?」

「ええ。私ソロと入ってみたいわ。」

「‥分かった。じゃあ、マーニャ達の後一緒に入ろうか?」

期待に満ちた眼差しに、そう答えるソロだった。



「えっと‥。じゃあ、オレ先に浸かっているから。

 シンシアはその後ここで着替えておいでよ?」

途中すれ違った姉妹に特に揶揄われる事もなく到着した風呂場の前で、ソロがシンシアに

声を掛けた。

「ええ分かったわ。」

コックリと頷くシンシアを見て、ソロが脱衣所へと向かう。

天幕が降ろされると、ソロは小さく吐息をついて、服を脱ぎ始めた。

腰にしっかりタオルを巻いて、ソロは掛け湯をすると湯船へと足を入れる。

そのまま奥まった場所で腰を落とすと、シンシアへ話しかけた。

「シンシア、いいよ〜」

「はあい。」

天幕の外で待っていたシンシアが、彼の呼びかけに応えると、そっと幕を上げて身を

滑らせた。

そのままササっと脱衣場になってる衝立の後ろに向かって、着替えを始める。

水着‥マーニャが海に落ちた時の為の備えにと購入して来たものだったが。その用途を

聞いて、昼間のロザリーとの会話を思い出し、良いきっかけかも‥と勢いでここまで来て

しまったけれど。裸でないとは云え、身体のラインはくっきり出るんだな‥と、身につけ

てから気恥ずかしさを改めて意識する。

「ソロ、あのね‥」

衝立からひょっこり顔だけ出して、頬をバラ色に染めたシンシアが、躊躇いがちに続けた。

「今から行くけど。その‥恥ずかしいから、あっち向いててくれる?」

「‥あ、うん‥‥」

ソロはシンシアと目が合うと、真っ赤になって、慌てて首を捻った。

首だけあちら側に向けたソロに小さく笑ったシンシアが、そっと衝立から出て来る。

胸元に大きなリボンをあしらったセパレートタイプの水着は、上着の丈が長くミニワンピ

ースのようにも見えて、露出度は控えめなのだが、フリルの裾が気になって、歩き方が

疑固地なくなってしまう。

シンシアはゆっくりした足取りで湯船へ向かうと、掛け湯の後そっと足を湯に沈めさせた。

着慣れない水着が肌に纏わりつく感覚を不思議に思いながら腰を落とすシンシアが、

あちらを向いたままのソロの横顔を眺めて、クスリと口元を綻ばせる。

「ごめん。もういいわよ‥」

首だけ横向けた彼の隣に並ぶよう尻で移動しながら、シンシアが声を掛けた。

「あ‥うん。」

応えたものの、落ち着かなさげに視線を彷徨わせるソロに、シンシアがクスクス笑う。

「な‥なんだよう?」

「うん。なんだか久しぶりだなあ‥と思って。」

「久しぶりって‥」

「あら。昔はよく一緒に入ったじゃない?」

「‥すっごく小さい頃の話だろ?」

真っ赤な顔で眉を顰めて、ソロが彼女を睨んだ。

「ふふ‥ちゃんと覚えてはいるんだ?」

「そりゃあ‥まあ。‥いつも、一緒だったし‥‥」

ソロは小さく嘆息すると、真っ直ぐ向いたままポツンとこぼした。

「そうね。一緒なのが当たり前になる程、いつも側に居たのよね。」

「うん‥」

こつんと肩口に頭を傾がせたシンシアに、ソロが短く返す。

「いつの間にか背丈を追い越されて。私の知らない広い世界を沢山見て。沢山出逢って‥。

 ソロの中の私の居場所は埋もれて消えてしまうのかなあ‥」

「そんな事っ! ある筈ないだろ!」

ぼんやりこぼされた呟きに、ソロが身体を跳ねさせ、シンシアの肩を掴んだ。

真剣な眼差しで怒るソロの姿に、シンシアが微笑を浮かべる。

「‥うん。ごめん。ちょっと感傷的になっただけ‥」

「‥オレじゃ、あまり頼りにならないかもだけど。シンシアの抱えているモノ、少しでも

 軽く出来るようにするからさ。‥だから、オレに出来る事があったら、言って?」

そっと彼女の頭を抱きしめながら、ソロが乞う。

「ありがとう‥」

シンシアも同じように彼の首に腕を回し絡めさせた。



「‥あのね、シンシア。」

ややあって。ソロが遠慮がちに口を開いた。

「‥熱くない?」

「‥熱いわね。」

肩が出ているとはいえ、湯の中に浸かってる時間がいつもより長くなって来た辺りで、

2人はとりあえず湯船から上がる事にした。

「ふふっ‥締まらないわね。」

「本当だね。」

湯船の縁に並んで腰掛けて、2人がクスクス笑い合う。

「その水着、よく似合ってる。マーニャが見立てた割にまともで良かったよ。」

「ありがとう。こういうの初めてだから、まだちょっと恥ずかしいんだけど‥変じゃない

 なら良かったわ‥」

「うん、変じゃないよ。すごく‥可愛い‥」

後半照れたのか、そっぽ向いたソロがぽつんと褒めた。

「そういう台詞は‥‥あ。」

「ひゃっ‥」

ペト‥と予期せず濡れた翼に触れられて、ソロが身体を跳ねさせた。

「あ‥ごめん。痛かった‥?」

「ううん。ちょっとビックリしただけ。そう言えば、シンシアには見せてなかったっけ?」

慌てて手を引っ込めて、心配そうに伺うシンシアにソロが微笑んだ。

「ええ。いろいろ大変だったのですってね‥」

「うん‥まあ。」

「ソロからは何も聞いてなかったけど‥」

「あ‥そう、だっけ?」

にっこり続いた言葉に微妙な棘を覚えたソロが、気不味そうに口を歪めて首を傾げた。

「隠すつもりじゃなかったんだよ? 単純に忘れてただけでさ。」

「うん。それも分かってる。ちょっと拗ねただけ。」

ふふふ‥とシンシアが明るく笑んだ。

「昔は真っ先に私を頼ってくれたのに‥ってね。」

「そうだったね。何かあると、まずシンシアの所行ってたもんなあ、オレ‥」

「そうよ。怖い夢見た後とかは、数日くっつき虫になってたし。」

「よく覚えているなあ‥」

「ふふ‥ふ‥っくしゅん‥」

シンシアがにんまり笑んだ後、小さなくしゃみが続いてしまった。

「大丈夫? 冷えたんじゃない?

 オレさ、先に上がってるから、シンシアは少し浸かり直しておいでよ。」

「ソロはもういいの?」

「あ、うん。これ以上入ってたら、逆上せそう‥」

「そう。じゃ‥そうさせて貰うわね。」

ソロの申し出にコクンと頷いたシンシアは、そう応えると湯船に身を沈めさせた。



「お帰り〜2人とも。ゆっくりだったのね。」

テーブルまで戻ると、姉妹がにっこり出迎えた。

「ええ。なんかいろいろ話し込んでしまって‥」

「お風呂ってリラックスするから、会話も弾みますよね。」

「ええ本当に。ね、ソロ。」

ミネアに応えたシンシアが、一歩後ろに下がったままのソロへと振る。

「あ、ああ‥うん。オレさ、今日はもう疲れたから、明日に備えて休むね。

 おやすみなさい〜」

ソロはそれだけ一気に話すと、そそくさと場を立ち去ってしまった。

「あらら。まだ何も言ってないのに〜」

「姉さんに遊ばれそうだと、気配を察したのではなくて?」

遠ざかる背中を眺めながら残念そうな顔を浮かべる姉に、妹が鋭く返す。

シンシアはそんな姉妹に柔らかく笑んで、彼女達の向かい席に腰掛けた。

「ここへ戻って来る道中、ソロは随分警戒してましたから。

 遊ばれそうなら逃げるから‥って。ふふ‥」

「そんな遊ぶだなんて。ちょっと、水着の感想聴こうと思ってただけなのに‥」

頬杖ついてボヤくマーニャに、シンシアが笑みを深くする。

「可愛い‥って褒めてくれましたよ。ちゃんと。」

「そっか‥良かったわ。シンシアはどうだった? 着心地とか‥」

「ええ。サイズは大丈夫‥だと思います。初めはちょっと気恥ずかしかったですけど。

 お湯の中に入った後は結構リラックス出来ましたし‥」

そこまで話してから、シンシアが思い出したようにクスクス笑い出した。

「多分、私よりソロの方が緊張してたんじゃないかしら?」

「ああやっぱり〜なんか容易に想像出来るわね‥」

「うふふ‥。今日は素敵なお土産ありがとうございました。」

「いえいえ。楽しく過ごせたなら良かったわ。」



「ソロ‥もう寝ちゃったの…?」

テントへと戻ったシンシアが、既に横になってるソロにそっと声を掛ける。

「…起きてるよ。早かったね…」

のそっと寝返り打つよう彼女の方へ身体を向け、ソロが返した。

「ええ。明日に備えて早めに休みましょうって事になったから、彼女達もすぐに戻って

 来ると思うわ‥」

そう説明しながら、シンシアはソロの隣にいつものように横になった。

「マーニャはここだと健康的な生活送れるみたいだって、ミネアが言ってたけど。

 本当だなあ‥」

「ふふ‥。さっき本人も似たような事呟いてたわ。夜の街ってよく分からないけど。

 日が暮れてから賑やかになる遊戯場があるのですって?」

「ああうん。余程大きな街じゃないとないけどね。

 でも、あれはシンシア向きじゃあないな。オレも苦手だけど‥」

仰向けになったまま、顔だけを彼女に向けてソロが説明する。

「ソロは夜の街をあまり出歩かなかったの?」

「ん‥? そんな事ないよ。お酒出す店とか‥そうそう。花見にも行ったな‥」

「花見‥夜でも見えるものなの?」

「うん。月明かりの元だと、白っぽい花はとても綺麗に見えるんだ。そんな花愛でながら

 お酒飲んだり、美味しいもの食べたりするのも楽しいよ。」

「ふふ‥確かにそれは楽しそうね。」

シンシアがクスクス笑うと、肘を立ててソロの顔を覗き込むよう頭を起こした。

「それにしても。ソロったら、いつの間にかお酒飲むようになったのね。」

「あ‥はは。うん‥まあ‥」

「昔おじさまの秘蔵酒を口につけた時『からいのきらい』とか言って泣き出したソロが

 ねえ‥」

「それがね、シンシア。お酒ってさ、甘くて美味しいのも色々あるんだよ?」

「え‥そうなの?」

「うん。色々試したら、シンシアも気に入るのがきっと見つかると思う。

 それくらい本当に色々あるんだ。」

「へえ‥それは確かにちょっと興味あるかも。」

力説するソロに、シンシアも興味持った様子で笑みを浮かべた。

「お酒の事ならマーニャに色々聞いてみると良いよ。詳しいから。」

「そうね。お酒の話も楽しそうだけど、ソロが飲んだ時の話もなかなか面白そうね。」

「う‥ええっ? それは、あんまりお勧めしたくない‥」

困ったように眉を寄せるソロににんまり笑んで、シンシアは仰向けに横になった。

「明日は晴れると良いわね‥おやすみなさい、ソロ‥」

「うん。おやすみシンシア‥」