「これで‥ラストと。」

ピサロの攻撃を食らって蹌踉めいた魔物に、アリーナが止めとばかりに蹴りを入れた。

もんどり打って倒れた魔物が動く気配を見せないのを確かめて、彼女は構えを解く。

「なかなか順調ね。」

ホッと嘆息したアリーナが、一同を見渡した。



ここはゴットサイドに出来た異界へ通じる洞窟。

挑戦しているメンバーは、アリーナ・ソロ・ピサロ・クリフトの4人だ。

ソロの回復程度を測る目的もあっての探索なので、今日のリーダーはアリーナが任されて

いる。一行は順調に洞窟奥へと歩を進めていた。

何度目かの戦闘を終えて、アリーナがにっこりソロを振り返る。

「思ってたよりずっと動きいいわね、ソロ。なんか以前よりも素早さが増してるみたい‥」

「そう? なんかね、身体が軽く感じるせいかな? ライアンにも同じコト言われたよ。」

剣を仕舞いながら、ソロもにこにこ答えた。

最初の戦闘こそ、緊張を纏わせていたソロだったが。どうやら気負いも解れてきたようだ。

「ええ聞いてるわ。ライアンが驚いてたもの。ブランクを感じさせない動きだったって。」

「‥流石に腕力は落ちてる感じなんだけどね。でも、思ったより身体は動くみたい。」

拳を軽く握っては開いて、ソロが独りごちるように呟く。そんな彼の背後に立った長身が、

コツンと頭を叩いた。

「病み上がりなのだ。体力全般が落ちているのが当たり前だろう。」

「でも。素早さは上がってる‥って。」

首を反らせて頭上を仰ぎ見たソロが、むくれたように口を尖らせた。

「‥確かにな。今のお前は天の血が強く現れているからな。」

「ああ。翼の事ね。飛翔出来る程大きくなくても、違うものなのねえ…

 いいわねえ‥。私も欲しいなあ…」

ポム‥とアリーナが手を叩いた。腕を組んで感心しきりとばかりに頷く彼女に、ソロが

クスリと微笑する。

「姫様に翼があったら、従者の苦労が増えるだけでしょうねえ‥」

「まあ、クリフトったら。私だって、いろいろ大人になったもの。無茶はしないわ‥多分。」

クスクス笑われたアリーナが、最後はか細く言い返した。

「ふふふ。アリーナは部屋抜けが得意だったんでしょ? 閉じ込められた時、壁を破って

 脱出した‥って聞いてるよ。」

「それはすごいな。」

「まあ‥ピサロまで。どうせ規格外だとでも言うのでしょう?」

「確かに‥規格外だが。このパーティはそんな者ばかりだしな…」

「‥それもそうね。あなたには負けてるわね、私も。」

くつくつ笑うピサロにアリーナがにんまり返す。ピサロは一瞬目を開いたが、すぐに穏や

かな口元になった。

和んだ空気が場を支配して、それから再び探索が開始された。



心配されたソロの体力も特に不安を除かせず、しばらく順調に探索していた一行だったが。



湿り気帯びたフロアを進んでいる時、それは起こった。

複数体の魔物に一斉に掛かって来られた一行。それぞれが魔物の対応に追われているうち

戦闘範囲が広がってしまった。

「‥っく。やあ〜っ!」

攻撃を剣で受け止めたソロが、返す刀で反撃を繰り出す。

長角の青悪魔ランガーはすっとそれを躱すと、素早い身のこなしでソロに掛かって来た。



「はあ‥はあ‥。」

足場の悪さが災いして、手間取ってしまったが、どうにか目の前の敵を倒す事が出来、

ソロは肩での息を整えるよう、ゆっくり呼吸を繰り返した。

それから周囲を窺って、自分が皆と離れてしまっている事実に気づく。

「‥あれ? みんなは…?」

キョロ‥と周囲を見回すと、響く音があちこちから届いて。近くで戦っているらしい‥と

いう事は読み取れたが。幾方向からも届くので、どちらへ向かえば良いのか迷う。

ソロは逡巡しながらも、一番はっきり音の届く方向へ走りだした。

薄暗がりの通路を出ると、土が剥き出しになったどん詰まりの場所だった。

仄かに明るかったのは、高い天井から注ぐ光のせいらしい。

その光を浴びるように背を伸ばした樹木の根が、その一角に張り巡らされている。

ピ‥シャン。水滴の垂れる音が、ソロの背後で響いた。

ソロの背がビクンとそれに反応し、暗がりに広がるうねった暗い根に目が止まる。

ドクンドクン‥早鐘を打つ鼓動が悪夢を呼び覚ます。

「…あ。‥‥‥っ…」

全身の血が下がるのを覚えるのと、手足の先が震えるのはほぼ同時で。

冷たく小刻みに震える指先の感覚が、さあーっと血が下がってゆく音と連動し、冷んやり

した空気が己を包んでゆくと、立って居るのも困難になって来た。

「はあっはあっはあっ…っ、はあ…」

がっくりと膝を地面に着いたソロが、荒い呼吸を繰り返す。

「…ソロっ!」

そのまま地面に伏しそうになった彼を、駆け寄った男が抱き止めた。

「‥ピ‥サロっ。はあっ‥はあっ。オレ‥苦し‥く…て。はあっ…」

手足の震えは更に激しさを増してるようで。血が下がっていく一方な違和が不快感ばかり

募らせてゆく。一所懸命呼吸をしてるのに、息苦しさは酷くなる一方…

「しっかりしろ。とにかくさっきの場所に戻るぞ。」

ピサロは彼を抱え上げると、踵を返し来た道を戻った。



「ソロ‥!? 一体どうしたんですか?」

広い通路に出ると、姿を見つけたクリフトが駆け寄って、心配顔で問いかけた。

アリーナも同じようにやって来て、ピサロとソロを交互に見やる。

ピサロはそっと彼を横たえさせると、ソロの様子を注意深く確認し始めた。

幾つか小さな傷は見受けられるが、毒を受けたような様子はない。発熱もないようだ。

それでも酷く苦しげで、荒い呼吸を繰り返す彼に、ピサロはもしや‥と思い至る。

同じように膝を折って、ソロの様子を見ていたクリフトもそれを疑ったらしく、ふと視線

がかち合った。

ピサロがもう一度ソロをゆっくりと抱き上げる。そして徐に唇を重ねさせた。

「‥‥‥!?」

びっくりしたソロが目を丸くさせる。心配そうに見守ってたアリーナも同様だった。

「‥ソロ。呼吸はゆっくり浅く‥いいですか、ゆっくりですよ?」

ソロの頭をそっと撫ぜて、クリフトがそう静かに声をかけた。

吐息すべてを奪うような口接けを受け止めて、目だけを彼に移す。ふわりとした微笑みに

安心したソロは、そのままピサロに身を委ねた。

ゆっくり、浅く…それを意識しながら、乱れた呼吸を整えてゆく。

しばらくすると、凍えていた指先に温かな血が巡り出したのを覚えて、あれ程苦しかった

身体がすうーっと楽になっていった。

「…大丈夫か?」

「‥うん。大分楽になった…」

強ばりが解け落ち着き始めたソロの唇を解放して、ピサロがそっと訊ねた。

「…オレ、どーしたんだろう?」

あんな風に急激に気分が悪くなったのは、初めてだった。

「‥恐らく、過呼吸を起こしたのだろう。」

「過呼吸…?」

「ああ。呼吸は過剰になった場合も不具合が生じるものだからな‥」

「成る程。それで口を塞いだ‥って訳ね!」

ポンと手を叩いて、アリーナがうんうんと得心したよう頷いた。

「ソロ‥大丈夫? びっくりしたわよ?」

太腿に手をついて、腰を曲げたアリーナが、ソロを案じるよう覗う。

「あ‥うん。オレも…びっくりした。‥でも、もう平気みたい。ちょっと休んだら、探索

 続けて…」

「何言ってるんだ、ソロ? 今日はもう切り上げだ。戻るぞ。」

「ダメ‥! オレ、まだ戻らないからね!」

ソロを抱えたまま立ち上がったピサロが、すぐにでも呪文を唱えそうだったので、その口

を塞ぐよう手を彼の口元で覆ったソロが声を荒げた。

「‥ピサロ。とりあえずソロの言うように、休憩入れましょう? それで様子みて決めて

 もいいんじゃないかしら?」

どこか思いつめた様子で口を結ぶソロを見て、アリーナが提案した。

「…了解した。」



一行は少し戻った場所にある、昼食をとる為に度々利用している一角へと向かった。

ソロは不満顔だったが、ピサロに横抱きにされたまま目指す場所へ到着すると、ベンチの

ようになった石組の上に降ろされた。

「…ありがとう。」

小さく礼を述べて、俯きがちにソロが吐息を落とす。ピサロはそんな彼を上向かせると、

その顔色を見定めるよう覗き込んだ。

「休憩後も顔色が戻らぬようなら、引き返すぞ? 良いな?」

「…でも。‥ちょっと休んだら、きっと大丈夫だもん…」

目を外したソロがぽつんとこぼして俯く。ピサロは盛大な溜め息を落とすと、脇の壁にも

たれ掛かった。



「ねえねえ、ソロ。昨日の指輪ってさ‥ピサロの贈り物なんでしょう?」

変化に富んだ洞窟。その中でこの一角は出入り口の狭さと陽が射し込んでいるかのような

明るさが幸いしてか、今までここで魔物と遭遇した事は一度もない。それを理解している

アリーナが、ソロの隣に腰掛けて、明るく話しかけた。

「う、え‥な? 今なんて‥?」

突然の思いがけない言葉に、パニクった様子のソロが返す。

ピサロとクリフトも頓狂な顔を浮かべた後、事の成り行きを黙って見守った。

「だ・か・ら。指輪よ、指輪。昨日してたでしょう?」

「…うん。」

「あれってさ。ピサロから貰ったんじゃないかって…さっきのキスで思ったの。

なんかドキドキしちゃったもん、私でもさ。ね、どう? 当たり?」

ワクワクと訊ねられて。真っ赤に染まったソロが、疑固地なく頷いた。

「う‥うん…。当たり…」

「やっぱり〜〜!」

「や‥やっぱり…?」

「昨日ね。私たち先に戻ったでしょう? それでね‥食堂へ向かったんだけど。

 皆その事が気になってたみたいでさ。ピサロかクリフトのどちらからかって揉めたのよ。

でね。ピサロに4票、クリフトに2票‥どちらも譲らなくてさ。」

アリーナの言葉のどこに突っ込めばよいものか、判断しかねて、ソロが困惑顔で両者を見

やった。

「姫様はピサロさんに投じたんですね。随分と票を持って行かれてしまいましたねえ‥」

肩を竦めたクリフトが苦笑交じりに口を開いた。

「そうね。だって‥なんだか療養から戻ってから、なんかこう‥密着度増したでしょう?

皆気になってたところへ、指輪だもの。やっぱり‥ってなるわよ。」

「姫様もいつの間にか、そういった話題に興じるようになられたんですねえ…」

凡そ女性が好むものとは無縁だった彼女の成長(?)に、しみじみ感じ入ったのか。単に

呆れてるのか微妙なニュアンスで、クリフトが嘆息した。

「でさ‥ソロ。あの指輪って‥やっぱり特別な意味のこもった贈り物だったの?」

ソロの手を取って、アリーナが更に問いかけた。

「…うん。」

「そっかあ‥。それを受け取ったって事は‥ソロもOKって事だろうし‥。

 クリフトは振られちゃったんだ。残念ね…」

「え‥?」

「え…? …違うの? ‥もしかして振ったのは…」

「振っても振られてもいませんよ。ね‥?」

途惑うソロの頭を撫ぜて、クリフトが話に割り込んだ。

にっこりと微笑みかけられて、ソロがコクンと頷く。

「…あの、ね。ピサロが‥それでもいいって…だから、オレ‥‥。…変かも知れないけど。

でも‥オレ…。オレは‥‥‥」

話してるうちにいたたまれなくなったのか、顔を曇らせたソロが膝の上に置いた拳を握り

込んだ。

「ソロ。私は変だとは思わないわよ?」

「え…?」

「互いに納得しての関係なら、いいじゃない。そういうのもさ。」

にっこりきっぱり言い切られて、ソロが目をぱちくりさせた。

「私の周囲はさ、正妻の外に側室が在るのが当たり前‥って話が多かったせいかな。

 そんなに変な話にも聴こえないのよ。ピサロはそもそも魔王だしね。結婚話はうんざり

 するくらい来てたのではなくて?」

「‥そうだな。うるさいのは居たな。確かに…」

肩を竦めて訊ねるアリーナに、ピサロが微苦笑して答えた。

「‥そっかあ。オレ‥みんなに知れたら、軽蔑されちゃうかなって思ってた。でも…

 なんかもう、いろいろ隠してるのも疲れちゃってさ。えへへ…ホッとした。」

安堵の吐息をもらして、ソロが羞耻んだよう微笑んだ。

「ソロはいろいろ気に病み過ぎよ。心配が過ぎると、ジイみたいに禿げるわよ?」

後半冗談粧して言ったアリーナがクスクス笑う。

「…それは、やっぱり‥困るかも‥‥‥」

バッと頭を手で押さえて、ソロが眉を下げた。

「でしょ?」

ふふふ‥と笑うアリーナに、ソロもクスクス笑い出す。

一頻り笑った後、ソロがスクっと立ち上がった。

「じゃ‥そろそろ探索再開しようか。」

「ソロ‥本当に大丈夫なの?」

心配そうに訊ねるアリーナ。ピサロも難しい表情で、ソロの様子を窺った。

「‥平気だよ。ちゃんと休憩取ったしさ。」

「動きが鈍っていたら、即引き返すからな?」

小さく微笑うソロに、嘆息したピサロが申し渡した。

「‥うん。約束する…」



広いフロアに出てすぐ、一行は魔物に襲われた。

始めは2頭の双頭の魔犬――地獄の番犬だけだったのだが。

戦闘終了と同時に新手が出現‥ちょっとした混戦状態になってしまった。

ソロは先程のダメージを感じさせない動きで、魔物と対峙していたが。油断ならない魔物

との連戦に、流石に息を乱し始める。

それぞれが必死に応戦し、ようやく最後の魔物を仕留めた――その時だった。

膝を落としたソロの背後に、疾風と共に風の魔獣ゲリュオンが現れた。

既に攻撃体勢に入ってるゲリュオン。真っ先に反応したのはクリフトだった。



―――ザキ!



確実‥とは言い難い術だが。ピサロもアリーナも間に合わない。

だから、滅多に使わぬ呪文を咄嗟に上らせた。

鋭い爪を振りかぶっていたゲリュオンの、がっしりとした体躯がその場に崩折れる。

バタン…床に沈んだ巨体は二度と動く事はなかった。

大きく息を吐き切って、クリフトがホッと肩を降ろす。

「‥す‥ご〜い! 一発で沈めちゃうなんて!」

「ありがとうクリフト。助かったよ‥」

恐らくきちんと躱せなかったろうと、ソロもホッと安堵の息を吐く。

「‥上手く効いてくれて良かったです。ソロ、アリーナ様、怪我はありませんか?」

「うん‥たいしたコトないよ、オレは。」

「私も‥と言いたい所だけど。ごめん‥脚がちょっと駄目みたい‥」

腫れ上がった太腿を抑え、顔を顰める彼女にクリフトが歩み寄る‥が、それより近くに居

たピサロが、スッと手を差し伸ばして、回復呪文を唱えた。

「あ‥ありがとう、ピサロ…」

急を要する場ならともかく、戦闘後で、たいした傷でもないのに治療施すのは、ソロのみ

‥と理解していた彼女が、不思議顔でピサロを見つめる。

よく理解出来ぬが、先程以上に難しい顔をしているようにも窺える。

ピサロはソロにも回復呪文を施すと、一同を見渡した。

「今日はこれくらいで良いだろう? 戻るぞ。」

誰も否を唱えるでもなく、一行は洞窟を後にした。


          

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