「お口に合えば良いのですけど…」
夕食の配膳を終えたグエンが厨房へと下がると、クリフトがスープの器 を指して竜の神に声をかけた。
「これは君が作ったのかね?」
「ええ。ソロが持って来た野菜を使って作りました。
 こちらの調理器具 はまだ慣れなくて。この品だけですけど…」
そう苦笑するクリフトに、神が微笑みかける。
「ああ。地上とは随分勝手が違っただろう。」
「ええ。洗濯も驚きましたが。こちらは様々な魔法道具があるのですね 。」
クリフトが感心したよう語ると、一層笑みが深まったので。
一旦言葉を止めて、「頂きましょうか」と食事を促した。

「うむ。これは美味いな…!」
早速とスープを口に運んだ神が満足そうに頷く。
それを眺めたクリフトも人匙すくって飲んだ。
トマトをメインに使ったスープは、この季節になるとよく作る定番メニューだ。
少々勝手の違う厨房で作った割に、ちゃんと仕上がったと思う。
こちらの料理も美味しいけれど。慣れ親しんだ味に、クリフトも満足顔を浮かべた。
「今日はソロが持って来てくれた食材を使いましたが。
 またこうして、何か一品作らせて頂いても良いですか?」
「ああ勿論。必要な材料や道具があれば、用意させよう。」
竜の神がにこやかに請け負ってくれたので、クリフトも笑んで返す。
その日の食事は、それまでどこかで感じていた[お客様気分]が抜けたものとなったのだった。

数日後。
クリフトは色々悩みながらも、ソロへの返事をしたた めた。
夕食後のお茶を飲んでまったりした時間の中で、クリフトは神に手紙を差し出した。
「これを…。ソロの手紙の返信です。」
封が閉じられてない手紙を受け取った神が、クリフトを見つめる。
「中を改めても良いですよ。大した内容書いてませんが…」
くすっと笑ってクリフトが勧めると、神が手紙と彼へ視線を交互に向けて嘆息した。
「ソロからの手紙は、彼からの了承ないまま見せられませんけど。
 こっちは構いませんよ? …気にしてらしたでしょう?」
「…む。ま…まあ、ちょっとした好奇心なのだが…。良いのか?」
「ええ。どうぞ。」
罰が悪そうに語る神に、クリフトがにっこり返す。
神は逡巡しつつも、手紙を開いた。


親愛なるソロへ

お見舞いありがとうございました。
心配かけてしまいましたが、体調は順調に回復しています。
こちらの方々にも親切にして頂いているので。特に不足はないのですが。
先日届けて下さった見舞いの品は、とても嬉しく、美味しく頂きました。
また機会がある時に届けて頂けると、嬉しいです。
こちらの厨房は、少し使い勝手が違って慣れるまで時間がかかりそうですが。
料理出来るくらいには体力も戻って来ているのですよ。
 
ただ、今はこちらでの生活に慣れることに精一杯なので。
最初にお伝えした通り、もうしばらく時間を下さい。

                   クリフト


「随分あっさりしているようだが…」
読み終えた神が、微妙な面持ちでクリフトを見る。
「…ですね。あまり返事を先延ばしにしても、心配させるだけなので。
 簡潔に要点のみを書き出したら、こうなりました。」
内容は薄くとも、回復している事が伝われば良いだろうと、クリフトが苦笑する。
「まあ確かに。すっかり元気になったと伝えてしまえば、見舞いを遠慮する理由が失せてしまうんだろうが…」
神が嘆息混じりに話すと、徐に彼の頬へ手を伸ばした。
「ソロと会うのが怖いのか…?」
案じるように瞳を覗き込まれて、クリフトが淋しげに微笑む。
「…怖いですよ。ソロの反応もですが…。
 私自身の反応も…予測出来ないですから…」
「君をここへ留めおいてしまったが。
 君達の関係について、私から特に制限を求めたりはせぬ。
 だから、君が思うように動いて良いのだ。」
自嘲気味に笑む彼に、神は真っ直ぐな眼差しを向け、穏やかに説明した 。
クリフトは意外とばかりに目を見開いて、次の間には視線を逸らして、深い息を吐いた。
「…選択したのは私ですし。それを後悔してません。
 ただ…ソロに何も伝えないまま、決めてしまったので…」
そこまで語って、クリフトは気付いた。
自分はもう、この状況を受け入れてしまっている事に。
ただ、どうソロに説明するのか、出来るだけ穏当に、出来れば余計な部分は語らずに、納得して貰う。
その術をどうすれば――
「…あの。ソロには内密に、ピサロさんだけ、こちらへ招く事って出来ます?」
自分だけで負えない荷を前にしたら、分かち合おう。
そんな言葉を思い浮かべて、クリフトは神へ頼みごとを持ちかけていた。
「…可能には可能だが。」
竜の神は渋面を隠しもせず、そう言葉を絞り出した。
「そこまで露骨に厭そうな顔されなくても…。ただ話をしたいだけですよ?」
「分かっている。理解はしているのだが、何であろうな?
 勝手にこうなったのだ。」
珍しくむすっとした表情になった神が、自身の気持ちに狼狽する。
「何なら貴方も同席なさってはいかがですか?」
妬いてくれているのだろうかと思いながら、クリフトが提案した。
「…奴も我が側に居たら、同じ顔になると思うぞ。それでは話が進まぬだろう?」
「ああ…確かに。それはちょっとうっとおしいですね。」
両者の間に存在する苦手意識は、自分が認識している以上に深いものだったのかと、苦笑するクリフト。
そんな彼に小さく笑んで、神が口を開く。
「…呼び出しは可能だが。我が招くより、君の言葉を届けた方が奴も動こう。」


翌日。
パレスへ向かったピサロの元に、1枚のカードが届けられた。
差出人はクリフト。魔法で届けられたカードには、話したいことがある
ので、単身天空城まで来て欲しい――とあった。
手紙の返事を心待ちしているソロではなく、自分の方が召還されたと知ったら、また一騒動になりそうだと眉を寄せたが。
そうならないよう、適当に部下に外出を告げて、ピサロは天空城へ向かった。

「すみません、お呼び立てして…」
ドランに案内されたのは、先日の離宮。
またもや勝手口へと案内されたが、正面に回るのも面倒なので、そのまま上がり込む。
窓辺のソファーセットに座っていたクリフトは、そんな彼の姿に気がつくと、立ち上がって声を掛けた。
「…思った以上に元気そうだな。」
村で最後に会った時よりもずっと強い気配を帯びるクリフトに、ピサロが表情を和ませた。
「ええ…おかげさまで…」
言葉を探す風に返すと、ピサロに席を勧める。
向かい席に着席するのを待って、クリフトは用意してあった茶器を使って淹れた飲み物を差し出した。
「…ええと。その節は色々ご面倒おかけしました。
 ピサロさんが一番早く気付いて捜索隊を組織して下さったとか。
 それがなければ、竜の神の力でも間に合わなかったそうです…」
「偶々入ったお前の部屋で、奴の気配を覚えてな。
 お前が遠出する時に、ソロが必ず持たせているアイテムだ。
 うっかり忘れたとは思わぬだろう?」
「そうですね…。ふふ…本当に天敵みたいなんですね。」
ピサロが彼を語る際に渋面浮かべている姿が、昨日の神と被って、思わず顔を綻ばせてしまう。
「ああ。ピサロさんとあの人と、同じような顔で互いを語るので…」
怪訝そうに窺うピサロに、クリフトが説明した。
クスクス笑うクリフトの手元に目を留めたピサロは、その指に嵌まったリングに気づき、目を開いた。
「クリフト…それは…」
「ああ…やっぱり、気づきますよね。」
ピサロがガン見するリングに触れて、クリフトが苦笑を浮かべる。
「まあ、見ての通りで。…伴侶の証にと、下さったのです。」
言葉に迷いながらも、後半は開き直ったように言い切った。
「…なんとなく、察してはいらっしゃったのでしょう?」
思った以上に驚く彼に、クリフトは伺うよう訊ねた。
「ああ…すまない。確かにまあ…可能性として、少しな。
 ただ…伴侶とは。意外過ぎてな…」
クリフトがなかなか決断出来なかった理由に納得しながら、彼をまじまじと眺めるピサロ。
「あなたですら、そこまで驚かれるのでしたら。
 ソロはさぞ、驚くでしょうねえ…」
動揺を隠せないピサロに苦く笑んで、クリフトが嘆息した。
「お前が私を呼びつけた理由は、それか…」
「そうです。私も彼に上手く説明出来るか分かりませんし。
 何よりソロがどう受け止めるか、そう考えると、ちょっと…非常に困ってます…」
「私だって困惑しているのだ。ソロが知ったら…どうなるんだ?」
ピサロはカップの茶をぐいっと飲み干して、腕を組んで唸った。
昼間からなんだが。強い酒でも煽りながらでないと、厳しい話だと思う。
「お代わり…こちらになさいます?」
そんな彼の心情を予測していたのか、クリフトはソファの奥に忍ばせていた酒瓶をテーブルに乗せた。
「…用意がいいな。」
そう苦笑して、テーブルにあったグラスに手を伸ばす。
「まあ、なんだかんだ長い付き合いですし…」
そう微笑んで、グラスに酒を注ぐ。
「そうだな。あれから7年か…。
 お前という存在がなければ、勇者一行に同行する事となっても、ソロの心は戻らなかったろうと思っている。 」
「ピサロさん…」
「お互い全く話が噛み合ってなかったしな…」
見えているものが違い過ぎて。無駄にすれ違ってばかりいた日々を思い出して、ピサロは苦笑する。
「ソロから話は聞いてましたけど。
 彼が語っていたあなたと、実際のあなたの姿のギャップに、最初は驚きました。」
クリフトは冷めてしまったお茶を一口含むと、ぽつんとこぼした。
窓の外の風景へ目を移して、小さく笑う。
「様子がいつもと違うソロにも、ちょっと驚きましたしね…」
「そうだったのか…?」
「ええ。皆の前では、一応感情を抑えてはいましたが。
 宿の部屋に到着してからの彼の反応は、色々意外だったのですよ。
 普通に痴話喧嘩になってましたから…」
当時を思い出して、クリフトがクスクス笑う。
そう、あの時のソロの様子を見て決めたのだ。
ピサロを巻き込む形で、ソロを支えるのが最前なのだろうと。
「…そう、か。あの時はまだ、私自身夢の中に在るような心地であったのだ。
 目の前でコロコロ表情が変わるソロと、幼子だった彼の姿が重なってたのは、覚えている…」
「ああ。そういえば、あなた自身も色々大変な状態だったのでしたね。」
ソロを中心に見えていた風景が、戸惑いを浮かべる彼の姿を見て、別の視点が加わった。
慣れない状況下で反応が鈍っていたのでなく、進化の秘法を打ち破って間がなかった中で、思考の切り替えが追いつかずにいたのだろう。
「当時はソロの事を第一に考えてたので、あなたの事情はあまり考慮してませんでしたが。
 もう少し丁寧に対応して差し上げれば良かったですね…」
「ふ…お前が寄越す課題は、あの頃からずっと変わらずハードだが?」
くいっとグラスに残った酒を煽ると、ピサロが疲れたように笑う。
「そうでしたか?
 旅をしていた頃は、色々無茶振りしている自覚ありましたけど…」
お代わりを注ぎながら、クリフトが苦笑した。

その日の昼食は、客人に気遣って遠慮した神だったが。
午後の休憩時間に宮へと足を運んだ。
気配から、彼がまだ帰っていない事は把握していたのだが――
「む…酔い潰したのか?」
ソファーに横になっているピサロの姿を見た神が、意外なモノを見たような顔つきでこぼす。
「人聞き悪いですね。私だって驚いているんですよ…」
背中から聞こえた声に振り返って、クリフトが微苦笑わら う。
「ちょっとペース早いとは思いましたが。
 彼がこれくらいで潰れるなんて、全く思ってませんでしたから…」
そう言って、まだ半分近く残っている瓶を示す。
「…これを飲んだのか。」
クリフトの隣に腰掛けた神が、瓶を手に取り苦笑した。
「ええ。こちらにある酒なら、出して構わないと仰ったので…」
「ああ問題ない。ただ…これは、[竜殺し]といってな。
 この宮へ来ていた友の故郷にある強い酒なのだ。」
竜の神でもグラス一杯で、強かに酔うという竜殺し。
そう聞かされて、クリフトが心配そうに対面のソファーで眠るピサロを窺った。
「まさか、そんなに強い酒だったなんて…」
自分は口にしていないので、全く気がつかなかった。
「…それで。話は済んだのかね?」
「ああ…そうですね。一応こちらの状況は伝わったと思います。」
途中から思い出話に花が咲いてたけれど。
最低限の情報は得てくれた筈…と思うクリフトが返した。
「そうか。強い酒だが、抜けるのも早い。程なく目を覚ますだろう。」
クリフトが淹れたお茶を1杯飲んで、神は執務へと戻って行った。

神が退室してしばらく。ピサロがゆっくり身体を起こした。
「目が覚めました?」
「…眠ってしまったのか? 私は…」
酔い潰れるなんて不甲斐ない事をしでかした自分にショックを受ける。
「まあまあ。私も先ほど伺ったばかりですが。
 これは竜殺しという、かなり強い酒だそうです。
 知らずに出してしまって…申し訳ありません。」
「竜殺し…。また物騒な名の酒を置いてるな…」
「竜の神の友人が持ち込んだ酒らしいです。」
また妙な事実に触れたが。ピサロは頷いて返すに留めた。
「随分と長居してしまったようだな…」
天界での時間経過は分かり難いが。庭の植物が落とす影の位置が大きく変わっているのに目を留めて、ピサロが呟く。
「そうですね。もうじき夕刻ですから…。夕食も召し上がって行きます?」
「いや…。いとま するとしよう…」
そう返したピサロが席を立つ。少し考えるようにして、彼は口を開いた。
「クリフト。お前はここで…いや。また何かあれば連絡寄越すといい。
 ソロとの話が拗れなければ、ソロ経由でも連絡つくだろう?」
言い掛けた言葉を噤んで。トーンを変えて、ピサロがにんまり笑む。
「拗れなければ…なんて。不吉なこと言わないで下さいよ…」
「そちらの事情も理解した。
 だから、予告通りの日程でも致し方ないと分かった上で、希望だけ伝える。
 なるべく早くあいつに顔を見せてやってくれ。詳しい事情は後回しでも良い。
 その元気な姿を見るだけで、少しは落ち着くだろう…」
「…そうですね。考えておきます…」
手紙の文面からも、とても心配させているのが読みとれた事を思い出して、クリフトが迷いつつも頷く。
「…これまで。共に過ごした時間は、とても充実したものだった。
 お前から学んだことも多かったし、普段語れぬ本音を晒せる相手でもあった。
 人はそれを友と呼ぶのだろう?
 ソロとの関係がどうあろうと、私の認識は変わらぬ。それで良いか?」
部屋を出る直前、ふと振り返ったピサロが見送るように席を立ったクリフトへ語りかけた。
「…ええ。私にとっても、あなたは大切な友人です。これからも…」
思わずこみ上げたものを必死で飲み込んで、クリフトは微笑み返した。

ピサロが立ち去って、宮に独りきりになると、クリフトはソファーに崩れ落ちるよう腰掛けて、先程堪えた感情を溢れさせた。
ピサロからの思いがけない言葉に、色々押し止めていたモノが堰を切って溢れてしまった。
なんとなく、繋がりすべてを断ち切らなければと考えていたけれど。
変わらず残るモノもまだ存在する。
それを示された事がこうまで響くとは…
自分がそこまで不安定になっていたのだと、気づいてしまった。

竜の神は、すっかり暗くなった室内で、背を丸めて身体を震わせているクリフトの隣に腰掛けると、そっと彼の様子を伺った。
声を殺して泣く姿に、どう声を掛けるか迷い、結局そのまま彼が落ち着くのを側で待つ事にした。
配膳のタイミングを待っていたグエンは食事を厨房へ置かせて、下がらせた。
どれだけそうしてたのか。
「…いらしてたんですね。」
光虫が活発に飛び交う頃合いになって、クリフトがぽつんと口を開いた。
その声はもう涙の跡もなく、いつもの調子に戻っていた。
「…明かりを灯しても良いかね?」
すっと頭を撫ぜられて、クリフトが苦笑を浮かべる。
「…いえ。もうしばらくこのままで。」
そう返して、クリフトは隣に座る神へ寄り添った。
「あの…我がまま言っても良いですか?」
「ああ…構わぬ。申してみよ…」
そっと重ねられた手の上に自らの手を乗せて、静かに訊ねる。
「今夜はこちらで…あの、ただ並んで眠って頂けませんか?」
「良いのか?」
この部屋へ竜の神が泊まる事はなかったので。
意外な申し出に目を丸くして問い返した。
「…少し。人恋しくなってしまってるようなので。」
「…そうか。君が良いのなら、いつでも応じよう…」
塞がっていた手を片方だけ外して、神はクリフトの髪に手を差し込み梳った。

いつもより遅くなった夕食を食べ終えて。しばらく雑談を交わし、湯浴みを終えると就寝の時刻となった。
ここで誰かと眠るのは、初日のソロと過ごして以降となる。
「…なんだか、変な感じです…」
枕を並べて横になった状態が不思議だと、クリフトが小さくこぼした。
「そうだな…。この宮で酔い潰れて眠った事はあったが。
 布団で横になったのは初めてだ。
 こうして横になると、最初に君が言っていた「落ち着かない」という意味が分かったような気がするな…」
高い天井に、今は衝立で遮られているが、側面も同じように広い空間が在ったなら、それは確かに心許ないものを覚えるだろうと、神は理解した。
「以前も伝えたが。この宮は君の好きなように整えて行けば良い。
 居心地良い場所を提供したいのだ…」
「ありがとうございます…。書棚と机は発注済みなので。
 きっと、色々物が増えてしまうと思いますよ?」
「構わぬよ…。正式な披露目にはまだ時間が必要だが。
 近いうちに城内も色々案内させよう。」
身体を横向けて、クリフトを真っ直ぐ見つめ、神が静かに語りかける。
「それは楽しみです…こちらの図書館の本。前々から気になってたんですよね…」
初めて天空城へ来た時に、ブライと共に関係資料の閲覧の許可を得たが。事態が逼迫してない時に来たかった…と、2人してガッカリした記憶をふと過らせて。笑顔が曇った。
「…こちらの、変わった魔法道具関係の書もありますか?
 あ、閲覧制限のあった本て、そういった書物だったんですかね?」
ぽんと頭に乗せられた手が、労る仕草で滑って行くと、クリフトは努めて明るく訊ねた。
「地上に持ち込めない知識が記された本は、あの時封じられてたのは確かだな。
 だが…今の君なら、禁書庫の書物も大半は解放されるはずだ…」
「それはすごいですね…」
「まあ…君が読めれば、の話だが。失われた言語の本も多いからな…」
呆気に取られるクリフトに、神がフッと口角をあげる。
「それはますます楽しみですね…」
クリフトも顔を和ませると、ふ…と全身弛緩させる。
そのまま大きく息を継いで、眠りに落ちて行った。
すうすうと規則正しい息を繰り返すクリフトを、神はしばらく見守って、自身も眠りに就くのだった。

「おはようございます…」
「ああ、おはよう。昨夜はよく眠れたかね?」
目が覚めると、眠る時と同じように横向きで自分を見ている神があった。
あまり頭の回らない中だったが、挨拶をすれば、上機嫌な雰囲気の声が返る。
クリフトは小さく笑うと、上体を起こした。
「先に起きていたなら、声掛けて下されば良かったのに…」
「こういうのも悪くないと、新たな発見に浸っておったのだ。」
キリっと真面目な顔つきで語る神だが、言った後の表情は締まらなかった。
「それでしたら、こちらで過ごす晩は昨夜のように…と決めましょうか。」
「ふむ。それは非常に魅力的な提案だな。」
神が破顔するのを間近で見たクリフトもまた、自然な笑みを浮かべるのだった。


「ソロへ宛てた手紙なんですけど…」
朝食の後、クリフトが神へ話を切り出した。
「昨日ピサロさんから、僅かな時間で構わないから、回復した姿を見せてやれないかとお話があったんです。」
クリフトの言葉を静かに聞いていた神が頷く。
「込み入った話は後回しにして、顔を合わせるだけでも…と。」
「まあ確かに。君の元気になった姿を自分の目で確認出来れば、少しは落ち着きも取り戻せるだろう。
 だが…ソロの為にと、君が無理をする必要はないのだぞ?」
案じるような眼差しを寄せられて、クリフトが笑みを作る。
「…正直。会うのが怖いです。昨日ピサロさんに気づかされたように。
 ソロに会って実感するものを知る事が、とても…」
だから。一ヶ月の猶予を最初に設けた。
けれど――
「でも。それで色々動揺した時は、昨夜のように慰めて下さるのでしょう?」
「ああ…もちろんだとも。」
すっと神の頬に手を差し伸べると、その手をしっかり掴んで己の顔へ押し当てて、神は頷いた。
「流石に込み入った話が出来る状態じゃないですけど。
 短い時間顔を合わせるだけなら…と。
 その方向で調整お願い出来ますか?」
「ふむ…」

その日の午後。
ソロは竜の神からの知らせを受けて、早速天空城へと赴いた。
「早かったな…」
今回案内されたのは、竜の神の私室に近い応接室。
ソファーへ腰掛けソワソワ待っていると、神が人の姿で入って来た。
「いつ連絡来ても分かるように。常に持ち歩いていたからね。
 それで…手紙の返事を預かったのですか?」
言葉遣いが砕けていると気づいたのか。後半はやや丁寧な口調で、ソロが早速と訊ねた。
「ああ。手紙を預かっている。」
そう告げて、スッと封書を彼に見せる。
喜んで受け取ろうと身を乗り出したソロだったが、封書は彼の手の届かぬ場所に掲げられてしまった。
「確かに手紙を預かったが。実はその後に、クリフトはこうも言ったのだ。
『ほんの僅かな時間、顔を合わせるくらいでも良ければ、会いたい』とな。」
「えっ? クリフトに会えるの? 会っていいの?」
ソロの顔が喜色に溢れた。
「ああ。ただし、まだ本調子ではないのだ。
 だから…この砂時計が終わるまでに限らせて貰う。
 それでも良いなら、これは必要ないそうだ。」
僅かな時間直接会うか、手紙を受け取って帰るか。考えるまでもなかった。

竜の神に案内されて到着したのは、先日クリフトと共に泊まった庭園奥の邸だった。
「クリフトはここに泊まっているんだね。」
「ああ。ここは地上を模して建てられた宮だからな。少しは気安かろう…」
「確かに…ここはちょっと空気が違うかも。」
神の説明に納得して、ソロが周囲を改めて眺めた。
そんな会話の間に庭を抜けて、邸の前までやって来る。歩きながらも思っていたが、ピサロがやって来たのと同じ勝手口だ。
「良いか、時間厳守だぞ。疲れさせたら、次に彼が望んでも許可せぬからな?」
戸口で立ち止まった神が再度念押しした。
神妙に頷いて見せるソロに、厳めしい顔で神が鷹揚に頷く。
重い雰囲気はそれで霧散し、引き戸が開けられた。

「クリフト。これは君に戻そう…」
一足先に広間へ向かった神が、クリフトから預かった手紙を渡す。
「そうですか。では、ソロも一緒なんですね。」
「ああ。すぐ来るだろう…」
気が急いているせいで、ブーツを脱ぐのに手間取っていた彼を思い出しつつ説明する。
「クリフト…!」
ガタタッと賑やかにやって来たソロが、ソファーの前に立つクリフトを見て笑顔を見せた。
ダッシュで駆け寄るソロを竜の神の腕が制する。
神は徐に砂時計を彼へ突きつけ、テーブルへと置いた。
「良いな、時間厳守だ。
 私は退出するが、これが落ちきったら私の部屋へ帰しに来なさい。」
そう告げて、砂時計をひっくり返した。
「ソロ、そちらに掛けて下さい。」
ソロが神に気を取られている間に、対面のソファーへ座ったクリフトが、声を掛けた。
「あ…うん。クリフト…身体の調子はどお?」
勧められた席に腰を下ろして、ソロが様子を伺いつつ訊ねた。
「ええ。本当に心配かけてしまいましたが。
 もうこの通り、日常生活には支障ない程回復しました。」
ふわりと微笑むクリフトに、ソロも安心したよう笑んで返す。
「うん。思ったよりずっと元気そうで安心した。」
酷く弱まっていた気配が、払拭されて。とても安定しているとソロは心底安堵する。
「ソロからの見舞いの品も、美味しく頂きました。
 村で収穫した野菜をこちらで食べられるなんて思ってなかったので。
 嬉しかったです。」
「そっか。喜んで貰えて良かった。またちょくちょく届けるね。
 竜の神に預けるなら、大丈夫でしょう?」
砂時計の砂を気にしながら、ソロが確認する。
「そうですね。こちらの食事も美味しいですけど。
 慣れ親しんだ食材は、やはりホッとしますから…。ありがたいです。」
「良かった…。たくさん食べて、体力回復させてね。
 まだ本調子には遠いって、竜の神が言ってた。」
「ええ…。きちんと回復したら、ゆっくりお話しましょう。
 今日は会えて嬉しかったです。」
砂の残りが僅かになってしまったのを見たクリフトが、締めくくるように返した。
「うん。オレも会えて嬉しかった。
 ちゃんと回復してるって分かったし…」
そうふわりと微笑んで、ソロが立ち上がる。
まだ少し残る砂を確認して、彼の前まで移動し膝を着いた。
「困ったこととか、欲しいものとかあったら、いつでも頼ってね?
 ちゃんと、しっかり元気になれるように。
 オレに出来る事があれば、声掛けて?」
そっと彼の手を取って、懇願するようソロは言い切ると、立ち上がりながら額を合わせた。祈るような仕草で、触れ合ったのはそれだけで。
ソロは砂時計が退出の時間を告げているのを見て、キュッと唇を噛みしめた。
「…もう時間みたい。
 モタモタしていると、竜の神に面会禁止されそうだから、行くね。」
「次に会える時は、ちゃんとゆっくりお話出来ると思うので…」
申し訳なさそうに言うクリフトに、ソロが首を振る。
「ううん。こうして顔見れただけでも、本当に嬉しかったから…
 身体、大事にしてね?」
最後にそう念押しして。ソロは砂時計を持って退出した。

砂時計を抱えて、庭園をトボトボ歩き出したソロは、じわっと滲んだ涙を拭って、やって来た建物を振り返った。
元々限られた時間内でと許可された面会だから。短い時間なのは理解していた。
少しでも直接顔見る事が出来て、思ってた以上に元気な姿に安心した。
けれど――
これまで感じた事のなかった距離感を覚えるソロだった。

「はい、これ返します。」
先程の応接室へと戻ったソロは、竜の神に砂時計を返却した。
「ちゃんと時間厳守出来たようだな…」
神の対面に着席を促されて、ソファーへ腰掛けると、神が労うよう声をかけた。
「クリフトに負担かけたい訳じゃないから…」
そうむっつり返すソロに、神が苦笑する。
「思ったよりも元気そうで安心した。
 けど…あの広い建物に、クリフト1人なの…ですか?」
「身の回りの世話する者が付いている。
 今はまだ、静養に専念すべく、人払いしているが。
 閉じこめるつもりはないから、安心なさい。」
「食事制限みたいなのは、あるんですか?」
神の言葉に頷いて、ソロは質問を投げかけた。
その意図が読めず、首を傾げる神に、ソロが続ける。
「この前届けた野菜、美味しかったって…。
 クリフトが喜ぶなら、また届けたいし。それに…
 クリフトがよく飲んでいたコーヒーも、届けたら喜んでくれるかなあ…って。
 …ダメ、ですか?」
「ああ…いや。食べ慣れたものの差し入れは、彼も喜ぶだろう。
 そうだな。私が預かって彼に渡しても良いが…」
ソロの申し出に、竜の神の眼差しが和らいだ。
「流石に竜の神に届け物の仲介頼むのは、申し訳ない…です。」
こまめに届けたいソロだったので。遠回しに別の預け先を求めて見た。
「ふむ…。ならば、次に来た時には担当者が受け取れるよう手配して置こう。」
「お願いします。それじゃ、オレ帰ります。長々とお邪魔しました。」

ソロが退出し、移動呪文で地上へ戻ったのを気配で確認した神が、ふうーと長い吐息を落とした。
もっと色々ごねられるかと構えていたが。思ったより大人しく短時間の面会を終え帰って行った。
その様子から、まだ細かい話は伝わってないのを確信し、クリフトが住む宮の方へ目を向ける。
気遣わしげな表情を浮かべると、神は立ち上がった。

宮へ足を踏み入れると、クリフトはぼんやりとソファーに座っていた。
「…ソロは帰ったよ。…疲れてないかね?」
ぽんと肩に手を乗せられて、初めて気づいたように、クリフトが首を巡らせた。
「あっ…すみません。気づかなくて…」
「いや…。」
クリフトが胸の前でぎゅっと何かを握ったままにしているのに目を留めて、竜の神はぽんぽんと彼をあやすように頭を撫で、隣へ腰掛けた。
「あ…すみませんでした。これ、外したままでしたね…」
神の目線の先に気づいたクリフトが、拳を開くと謝罪した。
「構わぬ。ソロに見られたら、そこで騒動になったろうしな。」
ネックレスのチェーンに通されたリングを眺めながら、神が返す。
見つかって面倒な追及されないようにと、ネックレスを贈ったのは神だ。
「このままでも問題ないが。…また、私が嵌めても良いかね?」
「…ええ。お願いします…」
軽い口調で語る神に、クリフトがふわりと微笑んだ。
それに応えるように、神がチェーンを解きリングを外す。チェーンの金具を再び戻すと、手に残ったリングを持って、彼の指にそっと嵌めた。
「…ソロ、何か言ってましたか?」
自身の指先を合わせたクリフトが、神へ訊ねた。
「先日のような、君への差し入れをまた、届けても良いか聞かれた。
 問題ないと許可したので、近いうち何かしら届くのではないか?」
「ふふっ…そのうち所か、多分明日には届きますよ、それ。」
呑気な予想に、クスクス笑って。クリフトが彼の行動を予見する。
「何? 明日? そこまで早いとは思わなんだ。
 今日のうちに色々手配せねば間に合わぬではないか…」
この後の予定をいくつか変更しないと…と、ぶつぶつ独りごちる神に、クリフトが更に笑みを深めさせた。
「貴方でも、そんな風に慌てるんですねえ…」
「ソロ達が訪れた時の案内役をドランに任せているのだが。
 事前にきっちり伝え置かないと、ソロの願いを叶えるよう行動しそうだからな。
 我らが気づく前に、こちらへ通しかねん…」
「それは…困ってしまいますね…」
ドランがかなりのソロ贔屓である事は知っていたが。
そこまでとは思わなかった。神の慌てぶりも納得である。
「私にはドランの言葉は分かりませんが。
 ドランに私の言葉はきちんと伝わります?」
「うむ。一応理解はしているはずだが…」
少し考えたクリフトの問いかけに、神がコクリと頷いた。

「…という訳で。
 竜の神か私の許可ない間は、こちらへ案内してはなりません。」
竜の神にドランを庭先へ呼んで貰ったクリフトは、療養中の身なので、来客があってもこちらで応対出来ないのだと説明し、そう結んだ。
「ソロが彼への届けものを持参した時には、ルーシアの元へ案内すると良い。
 彼女ならソロも気安いだろう。」
しょんぼりした様子のドランに、ソロをどこへ連れて行けば良いのか、竜の神が指示を出した。
案内先が変更されただけと理解したドランが、コクコク頷く。
若干不安はあるが。後で説明するルーシアにもよくよく言い聞かせて貰えば、間違いないはずだ。
竜の神はドランを下がらせると、そのまま執務に戻って行った。
それを一頻り見送って。クリフトも宮へ戻ろうと踵を返す。
数歩歩いて立ち止まった彼は、庭園の姿へ目を移して、小径へ足を向けた。
緑が優しい彩りを織りなす庭園は、渇きを潤すように心に染みる。
ソロと会う事に、自分がどれだけ緊張していたのか。
それを今更ながら自覚して、クリフトは深い息を吐いた。
「…本当。バカみたいですね…」
人差し指に輝くリングを眺めて、微苦笑する。
自身の気持ちに整理着くまでの猶予を望んで、ソロときちんと向き合う事を避けてしまったが。
色々と答えは出ているのだ。
けれど――

変わらない想いがある。

変わっていく想いがある――

クリフトは空を見上げて、夜に向けて変化を見せ始めた姿を眺めた。
ゆっくりと茜に染まって、紫雲がたなびく空をぼんやりと。いつまでも…

2021/7/1




                         
    
あとがき
こんにちは月の虹です。予告通りあまりお待たせせずに続きUP出来ました。
終わりと 始まりと――2話のお届けです。
(1話が長くなりすぎたので。5となってますが。2話なのです。)
予定の場所まで到着しなかったんですけど。キリ良くなったので、一旦〆ました。
‥まあ、テーマが変わるので。良いかなと。次こそは修羅場?
この辺のお話は、自分もどう進むのか見えてない状態で、描いてるんですが。
クリフトもピサロも、予想外な方向向かうので。
脳内シミュレーションと全く違ってしまい(読者として)楽しいですw
意外な事だらけで驚いてばかりなんですが。
今回一番ビックリしたのが、魔王さまのクリフトへの台詞ですね。
彼から「友」なんて言葉が出て来るとは。
7年の間にも積み重ねたものがあるんだろうな‥と。
そして、独り泣くクリフトの姿も。
いつも飄々としている彼だけど。まあ、普通に色々動揺してるよね‥と。
ソロとの対面は、時間も短かったですし、互いに踏み込んだ会話してないので。
表面上は静かに終わりましたが――
最後に竜の神。なんでしょうね? なんかもうずっと浮かれモード入ってますよ。
竜の神の破顔した顔なんて。天空人も見た事ないんじゃないかと。
もう現時点で、彼にとってはソロより優先順位高い存在なので。
ソロの存在がクリフトの負担になると思ったら、結構あっさり天界出禁にしそうだなと。
うっかりそんな可能性に気付いてしまったのでした。

ではでは。ここまでお付き合い下さった方、ありがとうございました!

























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