翌朝。天空城。
竜の神は堅い表情でやって来た2人を迎えると、軽く咳払いした。
「昨夜も伝えたが、クリフトの状態を見ても取り乱さぬようにな。」
「うん、気をつけるよ。さ、連れて行って…」
こくっと頷いたソロが、竜の神を急かす。
「そうだな、参ろう…」

「ここに…クリフトが…」
移動呪文の光が解けると、見知らぬ小屋の前だった。
ソロは、目の前にある建物へ素早く駆け寄り、扉を開ける。
「クリフト…!」
「…ソロ。」
竜の神が制止する間もなく、小屋の中へと入ってしまったソロを、ベッドに横になったままのクリフトが迎えた。
「う…わあぁ~んっ…!」
鈍い動作で上体を起こしかけた彼に、駆け寄ったソロがしがみつく。
「心配っ…したんだ、から…ねっ…」
クリフトの姿を見た途端、堰を切ったように泣き出してしまったソロが、胸元に顔を埋めて気持ちを吐露する。
「…すみません…」
身体を起こすのを諦めたクリフトが、困ったように眉を下げた。
「ソロ。クリフトの負担を増やす為に参ったのではなかろう?」
遅れてやって来たピサロが、そう声を掛けると、彼がハッとしたよう顔を上げた。
「…ごめん。オレ…」
ぐじぐじと涙に濡れた顔を無造作に拭って、クリフトとピサロの後方に見えた竜の神を窺った。
「…ソロにはもう、その[病]について説明済みだ…」
ベッド脇に立ったピサロが、クリフトの様子を眺めつつ伝える。
「…どうして。黙って出て行っちゃったの…?」
感情を抑えるよう絞った声で、ソロが訊ねた。
「…あなたに、そんな表情させたくなかったんです…けど…」
「無理だもん。
 モモからクリフトが病気だって言われて、オレがどれだけ焦ったと思う?
 どれだけ自分の至らなさに絶望したか…」
「そうだな。お前の失踪に気づいてからのソロは、あの頃に戻ったようだったぞ?」
ぽんぽんとソロの頭に手を乗せたピサロが、クリフトに苦情を申し立てた。
あの頃――と言われて、クリフトは儚くなった少女を思い浮かべる。
それこそが、彼が再現を恐れた事態でもあった。
「…すみません。自分の事となると、スマートには行かないものですね…」
最善をと願っても、上手く作用しないものだと、苦笑する。
「格好悪くたって、オレがバカみたいに泣いたって、良かったんだよ。
 クリフトが黙って居なくなっちゃうより、そっちのが断然良いの。」
ぐいっとクリフトの顔に自身の顔を寄せて、きっぱりソロが話す。
「…そうですね。心配…おかけしました…」
そっと彼の頬に手を添えて、クリフトが小さく返した。
2人の間の空気が緩むのを待っていたように。竜の神が彼の枕元の方へとやって来る。
「それで。結論は出たのかね?」
小さな咳払いの後告げられた言葉に、クリフトは元より、ソロとピサロも表情を改めた。
そんな両者の反応に、クリフトが怪訝な顔で神を見る。
「あの、まさか…?」
「概要だけだ。詳細は不要だろう?」
胡乱な眼差しを送られた神は、肩を竦めて短く返した。
「はー。もう少し、考える時間を頂きたいのですけど…」
心底困惑するように、クリフトが猶予を求める。
「…ふむ。その様子だと、まだ猶予はあるが。条件がある…」

竜の神の提示した条件とは、もう1日待っても良いが。居所を天界へ移すよう求めた。
状態の安定と、神があまり長い時間地上に居るのは好ましくないとの事情を加味した結果だ。
ソロとピサロの滞在も認められた事もあり、結局一同は天空城へと移動する事となった。
案内されたのは、竜の神の私室がある棟へ向かう途中にある庭園の奥に位置する、風変わりな建物だった。
天界では珍しい木造をした建物は、庭に面した一面がガラス張りになっていて、寛ぎながら庭を楽しめるよう設けられた施設らしかった。
土足厳禁な室内に足を踏み入れると、草の香りがするマットが一面に敷き詰められた広い部屋の、庭がよく見える場所にソファーセットが配され、中央には布団が一組敷かれていた。
「横になっている方が楽ならば、そちらへ。食事が摂れそうならば、あちらへ座ると良い。」
ピサロに肩を借りる形で歩いて来たクリフトに、竜の神が声を掛けた。
「…ソファーで大丈夫です。」
昨日よりも顔色が良く見える彼がそう返すと、神が頷きソロとピサロへ視線を移した。
「あちらが炊事場になっている。ここにあるものは好きに使って構わない。」
目で呼ばれた2人が向かうと、神が簡単に設備について説明した。
「今は落ち着いているようだが。無理はさせぬようにな。」
そう小さく語って、竜の神は退出した。

「クリフト…大丈夫?」
飲み物を持ってやって来たソロが、ソファーに深く腰掛けている彼を気遣うよう話しかけた。
「ええ。今日は調子が良いみたいですから…」
ふわりと微笑むクリフトに、ソロも笑んで返す。
「竜の神が、食欲ないならこれだけでも…って。」
ソロは盆に乗せていたカップを彼の前に置いた。
2~3人掛けのソファに座るクリフトの隣にソロが腰掛け、テーブル挟んだ向かいの同じサイズのソファにピサロが座る。
それぞれが席に着くと、誰からともなく長い吐息が降りた。
「…えっと。色々ご心配かけて、申し訳ありませんでした…」
沈黙を破ったのはクリフトだった。疲れが滲む魔王に、目元がまだ赤いソロを見やって、細い声が紡がれた。
「まあ…言いたい事がない訳ではないが。…間に合って何よりだ。」
ピサロは彼の様子を眺めると、一旦言葉を切って、安堵したようこぼした。
そんな彼にクリフトが苦く微笑む。
「…クリフトが病気だって聞いてさ。ちっとも気づかなかった自分に腹立ってたし。
 見つからなかったら…と思うと、本当に怖くて溜まらなかった。
 そういう内緒は駄目だって、教えてくれたのはクリフトなのに…っ…」
俯いたまま声を詰まらせたソロの方に、ほんの少し身体を傾がせて、そっと彼の拳に手を添える。固く握られてた拳から、少しだけ力が抜けた。
「そうでしたね…。一応、私も足掻いてたので。視野が大分狭まってしまったようです…」
「…うん。余裕…なくなっちゃう…ってのも、分かってはいるんだ…」
過去にそれで散々周囲を振り回した自覚はあるソロが、自嘲気味に吐いた。
「本当に…余裕なくて。
 …後悔と焦燥すら、ぼんやりして来た所に、竜の神が現れて。
 …それから、何がなにやら考えをまとめる間もなく、今ここで、こうしているんですが…」
そう言うと、ガラスの向こうに見える景色に目を移し、嘆息した。
「…なんだか、静かですね…」
しばらくそうして景色を見つめていたクリフトが、ぽつりとこぼして、背をソファーに預けて目を閉ざす。
竜の神に選択の猶予を貰えた事で、少しずつ頭が整理されて来る。
隣で様子を見守っていたソロが、声を掛けるタイミングを窺っていると、正面に座っているピサロが首を左右に振って止めた。そのまま仕草で呼ばれ、そっと立ち上がる。
「奴の考えがまとまるまで、お前は口出しせず見守るだけに留めておく方が良い。
 我々の困惑以上に、本人が一番途惑っているのだろう…」
先程竜の神に案内された炊事場に移動すると、ピサロが口を開いた。
「…うん、そーだったね…」
昨晩竜の神の話を聞いて動揺しまくったばかりのソロが、苦く笑う。
「私は一度パレスに戻って、指示を出して来ようと思う。
 村の方でも随分気を揉んでいるだろうからな。
 見つかった事だけは、伝えても良かろう?」
「そうだね。その連絡も任せて良い?」
「ああ。」
ピサロは当然と請け負うと、そのまま玄関口へ向かった。
「なるべく早く戻って来てね…」
彼の背中に小さく声を掛けたソロが、心細げに目を細める。
ソロは一頻り見送ると、ふうーっと大きく息を吐いた。

淹れ直したお茶と菓子を盆に乗せて、ソロがソファーセットへと戻る。
カチャっと響いた食器の音に、クリフトが目を開いた。
「…おや。ピサロさんはどうしたのですか?」
「ああ。一度パレスに戻ってから、また来るってさ。」
「そうですか…。随分と…彼にも迷惑かけてしまったようですね…」
「そんな…迷惑なんて! そんな事、オレもピサロも思ってないよ?」
隣に腰掛けたソロが、即座に否定する。
「そうでした。
 あなたにも…彼にも、とても心配かけてしまったんでしたね…」
哀しげな瞳のソロに、クリフトが柔らかく微笑んだ。
ソロが心配するだろう事は想定内だったが。ピサロが思っていた以上に真剣に、クリフトの身を案じてくれていたのは、正直意外だったのだ。
「…ね、クリフト。横になってなくて、大丈夫? 疲れない?」
そっと頬に手を伸ばしたソロが、少し顔色が悪く見える彼を案じて訊ねる。
「大丈夫ですよ…。お茶のお代わり、頂いても?」
「あ、うん。そーだった…」
ティーポットに入ったまま放置してたのを思い出して、ソロが慌ててカップへ注ぐ。
ソロも以前頂いた事のある回復効果もある花茶だ。
「お菓子も食べられそうだったら、どうぞ…」
「ありがとうございます…。ソロもちゃんと食べて下さいね…」

淹れ直した花茶が飲み終わるまで、他愛のない会話をぽつぽつ交わして。
それからクリフトは布団へと移動した。
布団の脇には座布団が。枕の上部には水差しとコップの置かれた盆が配されていたので。ソロは座布団へ座って、静かに眠るクリフトを見守る。
寝息はとても穏やかで、[病]の事など忘れてしまいそうになる。
でも――
ソロはこんな気配をよく知っていた。

「…オレは。
 例え側に居られなくなっても、クリフトには、生きていて…欲しいんだけどな…」

7年前の少女の選択を思い出しながら、ぽつんとソロが呟く。
それを願って良いのか分からなくて。でも伝えたい、想い――

そんな本音が思わず口をついて出て。
ソロは、どっとこみ上げて来た哀しみを堰き止めるよう口元を手のひらで覆う。
クリフトが眠っているのを確かめて、立ち上がったソロは、そのまま場を離れた。
庭園へと移動したソロは、声を殺しながら、ぼろぼろと涙を落としていた。
「ソロ…どうしたんだ?」
どれくらいそうしてたのか。不意に声が掛けられた。
「ピサロ…。う、ううん…なんでもないっ。
 …なんか、色々思い出しちゃったから…さ…」
「…そうか。私は先に行くぞ。…顔を整えてから入って来い。」
慌てて顔を拭うソロの頭をぽんぽんと撫でて。ピサロが静かに話す。
「うん…」
そう返したソロが、滲んだ涙をごしごし拭って、気合いを入れるよう頬を叩く。幾度か深呼吸していると、ドランが側へやって来た。
「ピサロを案内してくれたんだね、ありがとうドラン。…ん、オレは大丈夫…」
心配するよう覗き込まれて。ソロが彼を労い、微笑んだ。

単身戻ったピサロは、布団で眠るクリフトの元へと足を向けた。
静かに眠る姿を眺めながら、ソロが先程まで座っていた座布団へ腰を下ろす。胡座をかいて、両腕組んだ姿勢で、眠る彼を見つめていると、ゆっくり瞼が開いた。
「…ピサロさん。ソロは?」
「用足しに席を外している。」
端的に返す彼に、クリフトが口元に笑みを刷く。
「そうですか…。ピサロさんにも、色々ご面倒かけてしまいましたね…」
「なかなか手掛かりが掴めず、苦労した。
 奴の協力がなければ、まだ探していたのだろうな…」
「…あなたが動いたのも意外だったのですけど。
 まさか、あの方が来るとは考えもしませんでした…」
「正直、私もあれは意外だった…」
苦い顔を浮かべたピサロに、クリフトも苦笑する。
「ですよね…。それに…」
意外な申し出までされてしまった。
クリフトは続く言葉こそ飲み込んだが、その微妙な表情の変化に、ピサロが眉を上げる。
「…天界の住人となれば、地上へ降りる事が難しくなるそうだが。
 奴の示した選択は、それだけではないのだな。」
嘆息混じりに語るピサロに、クリフトが微苦笑う。     微苦笑う→わらう
「…まあ。単純な話ではないですね。」
「思考の迷路に嵌まったなら、シンプルに考えれば解も出よう。」
肩を竦めて返すと、クリフトがクスリと笑った。
「そうでしたね…。
 けれど、それで決断するのは、些か不遜かとも思うんですよね…」
「それを気に病む男でもあるまいに…」
「何気に酷いですね。」
ハハ‥と力なく笑ったクリフトが、目を閉じた。
「あ‥クリフト起きたの?」
話し声が聞こえたと、小走りしてやって来たソロが、彼の枕元に膝を着いた。
「ええ‥。少し眠ったら、大分すっきりしましたよ。」
「そっか…。何か欲しいものとかある?」
「いえ。私の事より、ソロこそちゃんと食べてます?」
「あーうん、ぼちぼち…?」
目を泳がせて返したソロに、クリフトが嘆息する。
「きちんと食べて、適度に休んで下さいね?」
横になったままなのに、妙に迫力ある笑顔で念押しされて、ソロが気圧されたよう頷いた。
 
「ね、クリフトも一緒に食べない?」
夜が近づく頃。運ばれて来た食事をテーブルへ並べ終えると、ソロがクリフトへ声を掛けた。
「…そうですね。頂きましょうか…」
「良かった。」
移動を手伝おうと小走りしたソロだったが。側に居たピサロが手を貸しているのを見て、立ち止まる。
地上からこちらへ移動する際にも、彼は積極的に動いてくれていた。
そんな2人の姿を見ていると、ふわりと暖かな想いが広がる。
3人揃っての食事は久しぶりで、他愛のない会話を交わしながら、和やかな時間が過ぎた。
「…思ったより、食べられたね。気分はどう…?」
食後のお茶を飲むクリフトに、ソロが気遣うよう訊ねる。
「ええ、大丈夫ですよ。朝よりもずっと楽になってますから…」
そうクリフトが笑うと、ソロも安心したよう微笑んだ。
確かに顔色は随分良くなっている。声も静かだが不安定さはない。
「私はこの後パレスへ戻るが。ソロ、お前は…」
「もちろん、こっちに泊まるよ!」
カップをテーブルに置いたピサロが問うと、言い終わる前にソロが断言する。
元より答えなど予想していた2人は納得顔で頷いた。
「それなら、ソロ。先に風呂を済ませてしまった方が良いですよ?」
「え…風呂?」
「そうだな。ここの所寝不足続きだったのだ。
 一気に眠気が襲って来る前に、夜着に着替えた方が賢明だろう。」
「…う。分かったよ。じゃ、ササッと入って来る。
 ピサロはまだ帰らないよね?」
思わぬタイミングで寝落ちして、クリフトに面倒かける訳に行かないと、ソロは彼らの進言に従って、席を立った。
「ああ。だからのんびり浸かって来ると良い。」
ひらひらと手を払うピサロに、ソロが口の端を上げる。
「ありがとう。じゃ、行って来るね。」
2人に笑んで返すと、ソロは湯殿があると教わった場所へ移動した。

ここへ案内された時、施設について竜の神から説明を受けた。
なので、湯殿がある事も知ってはいたのだが…
「はあ…なんか温泉みたいだな…」
脱衣所の先にある扉を開けると、竹の柵で囲まれた空間の真ん中に、岩風呂があった。広めの洗い場には、涼む為のベンチまである。
「以前泊まった時の部屋の風呂もすごかったけど。
 こっちはそれ以上かも。星がすごいや…」
湯船に浸かると、そんな感想がついて出た。それだけ圧巻な星空だった。

「ピサロさんもこちらに泊まられるのかと思ってました。」
ソロの姿を見送った後、クリフトがぽつりと呟いた。
「この棟はまだマシだが…流石にこちらで一晩過ごすのは、厳しいぞ…」
「そうなんですか?
 私達が魔界へ降りた時の、落ち着かない感じと似たものがあるんでしょうかね?」
苦々しくこぼすピサロに、クリフトが首を傾げつつ訊ねる。
「…空気が合わないのだろうな。恐らく…」
「成る程…。そんな場所に、こうして留まって下さってるんですね…」
「…地上で、こちらの様子をやきもきして待つよりは楽だからな。」
柔らかく微笑むクリフトへ肩を竦めて返したピサロが、息を吐いた。
「私がこちらに居を移したら…ソロとこちらの繋がりが強化されるのでは?」
「別に構わぬさ。ソロの帰る場所が移動するだけだ。
 …減るよりずっと良い。」
「ピサロさん…」

パタパタパタ…
沈黙がしばらく降りた後。足音が近づいて来た。
「ねえねえ、ピサロ。ちょっと、こっち来てよ。」
用意されていた夜着に着替えたソロが、2人の元へ走り寄ると、困惑した様子でピサロを呼んだ。
「どうかしたんですか?」
結い上げていた髪を下ろすのも忘れてやって来たソロに、クリフトが問いかける。
「風呂から上がったらさ、オレの服が消えちゃったんだ。」
ソロの言葉に、ピサロとクリフトが顔を見合わせた。
「…多分、駕篭の下にある箱に収納されたんじゃないかと思うんだけど…
 風呂に入る前にはなかった、光る文字が浮かんでてさ。
 でも、なんて書いてあるか分からなくて…」
困惑顔で説明するソロを見て、ピサロが立ち上がる。
「魔法道具の一種ではないか?」
ぽんと彼の肩に手を置いて、そのまま湯殿へ歩き出す。
残されたクリフトは、しばらく彼らの背中を見送っていたのだが、興味の方が勝って、追いかけた。

「…どお? 何か分かった?」
彼らに遅れて到着したクリフトは、ジレた様子で訊ねるソロの声に耳を寄せる。
「ああ…やはり、ここに浮かんでいる言葉通り、洗浄中みたいだな。」
「服を洗濯する道具…なの?」
「へえ…面白いものがあるんですね…」
2人の背中越しに、問題の箱?を見たクリフトが、箱の前面に浮かぶ文字を眺めつつ感心した。
「クリフト? 大丈夫なの?」
「ええ。食事出来たからか、思ったよりも普通に動けました。」
心配する彼に微笑むと、場を譲ってくれたピサロに代わって、箱の前へ移動する。
しげしげと興味深げにそれを眺めて、先程までピサロが読んでいた説明文らしきものが添えられている、駕篭の奥へ目を移した。
「成る程。水ではなく、魔法で洗浄行っているのですか。
 こういった魔法は初めて知りましたが。ピサロさんはご存じでした?」
「文献で読んだ記憶はあるが。扱える者に会った事はないからな…」
「こちらには、いらっしゃるのですかね…?」
「魔法道具を創るには、それなりの適性も必須だからな。
 近い事は可能だったのだろう…」
瞳を輝かせている彼に苦笑しつつ、ピサロが見解を述べる。
「…それで。オレの服は、どうやって回収すればいいの?」
会話に置いてけぼりされたソロが、ぽつんと呟くのだった。

結局。洗浄に費やす時間は分からないが。終われば箱の横に設置された駕篭へ移動すると説明書きにあったので。朝までには完了してれば良いかと脱衣所を出た。
ソファーへ戻ろうとしたクリフトを、心配顔のソロが布団へ誘導し、3人は布団の敷かれた場所へ移動した。
「そういえば。その夜着、ソロにとても似合ってますね。」
いつでも横になれるようにと、布団の上に座ったクリフトが、すぐ脇に立っているソロの全身を眺め微笑んだ。
「そう? 時々宿でも似たような夜着あったけど。
 これ、なんか軽くて、とっても着やすいんだよ。クリフトも着替える?」
浴衣に似た仕立ての夜着は、薄手の生地で脇が大きく開いているせいか、背中をすっぽり覆っているにも関わらず、翼への負担が感じられなかった。
「…このままでいいですよ。それより、ソロもこちらへどうぞ?」
布団の脇に置かれた座布団に膝を着いた彼に、布団の上を示しながら、クリフトが声を掛ける。
「…それじゃ。お邪魔します…」
2~3人寝ても大丈夫そうなサイズでもあったので。ソロは悩んだ後、おずおず移動した。
「ピサロさんが以前使っていらっしゃった魔法道具も、珍しいものでしたよね?」
残った座布団へ腰を下ろしたピサロに、先程の会話の続きをとクリフトが話題に上らせる。
「ほら…手紙のやりとりが出来る魔法道具ですよ。借り物だと伺いましたが…」
「ああ…確かに、あれも相当珍しい魔法道具だったな…」
アドンが魔界から調達して来た道具を思い出して、ピサロが相づちを打った。
「失われた技術を用いたものだと聞いてる。」
「失われた技術ですか…」
「魔界の技術は分からないけどさ。
 ここの図書館になら、知らない魔法や技術の事も残っているかもね?」
難しそうな分厚い本がぎっしりとあったのを思い出して、ソロがにっこり会話に加わる。
「ほう…」
「ああ、確かに。なかなか魅力的な図書館でしたね。
 閲覧制限があって、あまり見せて頂けませんでしたが…」
「そーだったっけ?」
図書館に案内されたものの、圧倒される本の数にうんざりした記憶しか残ってないソロだ。
「まあ、のんびり読書していられる状況でもありませんでしたしね…」
ふふ…と微苦笑したクリフトが、天空城へ辿り着いた当時の記憶を思い出して、どこともなくぼんやり見つめる。
そうして、しばらく沈黙が降りると、ピサロが静かに立ち上がった。
「…帰られるんですか?」
「ああ。ソロも眠ってしまったようだし。一人で考える時間も必要だろう?」
座ったまま船を漕ぎ始めたソロを横たえさせてやると、そう言って踵を返す。
「…ありがとうございます。」
立ち去る背中に声を掛けて、クリフトは隣で眠るソロへ目を移した。
すうすうと穏やかな寝息に目を細めて、彼も身体を横にする。
そのまま瞳を閉ざすと、思った以上に疲れていたようで、考え事の前に眠りに誘われていった。

深夜。日常業務を終えた竜の神は、静まりかえった邸に足を運んだ。
そっと邸内に入った神が、客人の眠る広間へと向かう。
すやすや眠るソロに目元を和ませて、本来の目的であるクリフトの隣へ移動し、膝を折る。
グッと距離が縮んだ彼の様子をじっくり確認するべく、身を乗り出すと…
「う…ん…?」
ぼんやり身動みじろいだ彼が目を覚ました。 
「…やあ。…気分はどうかね?」
バチっと目が合ってしまったのを気まずく思う竜の神が、平静を装い訊ねた。
「…もう、朝ですか?」
「いや…まだ夜中だ。」
約束の時間なのかと訊ねたクリフトに、神が首を振って返す。
「そうですか…」
クリフトはホッと息を吐いて、隣で眠るソロの様子を確認する。深く眠っている姿に安堵して、神の方へ向き直った。
「私もお話があったので、丁度良かったですが…。
 先に用件伺いましょうか?」
「あ、ああ…。そうだったな…うむ‥‥」
言い淀む姿に眉を顰めたクリフトが、身体を起こそうと腕をついた所で、制止が入る。結局横になったままの体勢で、神の言葉を待った。
「‥昨日よりは大分、顔色が良くなったな…」
「ええ…色々お心遣い頂いたおかげです。感謝します…」
「根本的な解決にはなってないがな…」
ふわりと微笑むクリフトに、神が苦い顔で返す。
「話があるのだろう? 申してみよ。」
小さく嘆息すると、仕切り直した面持ちで神が続けた。
「あ、ええ…」
隣で眠るソロの様子を窺って、クリフトが躊躇う。    躊躇う→ためらう
「ふむ…これならば問題あるまい。簡易な結界を築いた。」
指を鳴らした神が、満足そうに頷く。一瞬広がった青白い光は、魔法の発動だったらしい。
「私達の会話は、ソロには届かぬ。だから気にせず申せ…」
「はあ…。湯殿の魔法道具も驚きましたが。未知の魔法の宝庫みたいですね…」
見知らぬ魔法に遭遇して、素直に笑みを浮かべたクリフトが感心した。
「昔は地上にも伝わっていたのだがな…。
 扱える者が少ない魔法は、時を経るごとに失われてしまうようだ。」
「そうなんですね。はあ…。あ、すみません。脱線してますね…」
つい好奇心の向いた話に気持ちが持って行かれて。苦笑するクリフト。
「うーん、何から話したらいいのか…。
 私にとって、ソロは特別なんです。
 いつから…かははっきりしませんけど。
 自分でも驚く程に、特別で大切な存在です。
 ですから…先日のお話を受けるというのは、貴方にとって、デメリットしかないと思うのですよ。」
「ほう…それは思い至らなかったな。
 だが、その物言いだと、お前にとってメリットのある提案ではあるのだな?」
片眉を上げて興味深げな瞳を覗かせた神が先を促す。
「それは、まあ…。
 半分諦めてた命を繋ぐ事が出来るのですし…。
 色々学べそうですし…。
 ですが…」
視線を外して、言葉を探すクリフトに、神の方が口を開く。
「私はお前達が想像する以上に長い時間を生きてきた。
 目まぐるしく変化を続ける地上と、緩やかな時の流れる天界。
 それらは交わらず、干渉しない。
 だが…古き盟約も、綻びが生じ始めた。
 進化の秘法を用いた邪神官は倒せても、アレらが招いた綻びは、今なお大きな亀裂を生じさせているだろう。
 それは、この天界も同様だ。世界は変化していくのだ。
 私はな、少々飽いていた。
 竜の神と呼ばれ、おそれる者は在っても、かしずく者が在っても、我には寄り添う者がない。
 それを自覚した中、無為に生き続ける事にな…」
竜の神が自嘲気味に微苦笑う。   微苦笑う→わらう
「…お前達の存在が、我にそれを気付かせたのだ。
 それにな…クリフト。
 我に遠慮ない言葉を、瞳を向けて来た人間を、他に知らぬ。
 それなのに、不思議と不快には思わなんだ。
 だが…ソロから、お前の消息について相談された時、肝が冷えた。」
竜の神はそう言うと、惑う瞳を寄せるクリフトにすうっと手を伸ばした。
「私はな…お前に生きていて欲しいと思う。それが我の最大のメリットだ…」
そっと頬に触れ、切なく語る声音は、揺らいでいた。
「…共に生きてはくれまいか?」
「…私は、ソロを愛してます。その想いを翻す事は出来ません…」
「それで構わぬさ。
 こちらへ移れば、地上へは簡単に向かえぬが。
 ソロならば、いつでもこちらへ来られる。
 制約は生じるが、可能な限り自由に過ごせるよう、便宜も図ろう…
 色々学びたいのだろう?」
畳みかけるよう利点を上げ連ねて来る神に、クリフトが苦笑する。
「…そうですね。失われた魔法や、技術等々‥知りたい事は多いですよ。
 1つ確認したいのですが‥現在編纂中の辞典、あれをこちらで完成させたら、地上への持ち込みは不可ですか?」
「ああ、薬草の分布や効能を纏めているのだったか。
 …地上の知識を纏めたものならば、問題あるまい。
 完成後、ソロに託すと良いだろう。」
竜の神が請け負うと、ほう…とクリフトが満足そうに笑んだ。
「自身についての不安はないのか?」
「う~ん…。ない訳でもありませんが。流石にこの状況では、ちょっと…」
ソロへ目線をやってから、クリフトが苦笑した。眠っているし、声も届かない…と聞いてはいるが。込み入った話は別の場所でと切に願う。
「そうだな…。では、明日。答えが翻らぬよう願っている…」

「ふう…」
竜の神が帰った後、クリフトは詰めていた呼吸を解放するよう、深呼吸を繰り返した。
最初に話を聞いた時は、唐突だったし、想像も出来なかった。けれど…
天界へ来て、様々な可能性に触れて、彼の真意も理解して。

――それもまた、悪くはない選択か

そう思い始めてしまった。
ただ…
クリフトは身体を横向けて、隣で眠るソロを見つめる。
詳細知った時に混乱するだろう姿がはっきり浮かんで、苦く笑う。
(まあ…ピサロさんは、なんとなく察しているようですから。
 上手く説明してくれますかね…)
共に旅をするようになった頃とは違って、ソロとのコミュニケーションが空回りする事もなくなった。
そんな事をぼんやり考えながら、眠りに就くのだった。







          









 



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