「ん…。はあ‥はあ‥‥‥」

黒いモノが執拗に着いてまわって、それから逃れるつもりで、バッとソロは跳ね起きた。

夜半。悪夢に魘されたソロは、荒く乱れた呼吸をどうにか宥めながら、室内を探った。

ここは宿の部屋。触れる距離にクリフトが。すぐ隣のベッドにはピサロも居る。



―――夢だったんだ。現実じゃ‥ない。



夢で追ってたモノが、まだどこかでこちらを窺ってるような、そんな錯覚を打ち消すよう

に、ソロが大きく吐息をつく。



―――あれは夢。だから大丈夫。でも‥



アレは‥現実だった。



ドクン‥と胸が恐怖に支配されてゆく。それを無理矢理振り払うように、大きく首を振っ

て、ソロは横で眠るクリフトの元へ潜り込んだ。



―――怖い。怖い。怖い‥‥‥!!



戦闘で生命の危機に陥った時に直面する死の恐怖。それとはまるで次元の違う、躰を蹂躙

される恐怖に、ソロは身を縮こまらせる。

「…大丈夫、ですか?」

そんな彼を包むようにしながら、クリフトがそっと訊ねた。

「‥怖い夢でも見ました?」

「…うん。‥でも、夢‥だもん。ね‥?」

ぎゅっと縋りつくソロが、不安顔でクリフトを見つめる。

「そうですよ。ほら‥ね。こちらが現実です。暖かでしょう?」

柔らかな翠髪を梳りながら、額や頬へ口接けを落とし、クリフトが囁きかける。

「‥うん。クリフト‥あのね。」

翼に触れて‥と小さな声でソロが頼んだ。

「…こう、ですか?」

「うん…」

手のひらにすっぽり納まってしまう小さな翼を、上着の裾から潜り込ませた手で包み込む。

ソロからほお‥と安堵の息がこぼれたと思うと、強ばっていた表情が、ふと緩んだ。

柔らかく触り心地満点の、ソロの翼。クリフトはその感触を楽しむように、そっと指を滑

らせては、ふわりと全体を包み込んでゆく。

「‥ふふ。くすぐったい。」

軽やかな声が上がって、クリフトもクスリと顔を綻ばせた。

「あ‥まだダメ。もっと‥お願い。」

す‥と離れてゆく手を留めるように、ソロが懇願する。

「くすぐったくても、良いのですか?」

「うん‥いいの。だって‥すごく安心するんだもん‥」

「‥そうですか。なら‥遠慮なく。今夜はこのまま眠りましょうか。」

「うん。そうして。…ありがとう。大好き、クリフト。」

「私もです。愛してますからね、ソロ。」

小さなキスを唇に届けて、クリフトは微笑んだ。

「さ‥まだ夜は長いですよ。きっと今度は楽しい夢になりますよ?」

「うん‥オレもそう思う。おやすみ‥クリフト。」

ふわりと微笑んで、ソロも瞳を閉ざした。



翌朝。

「‥おはようございます。ピサロさん。相変わらず早いですね。」

朝いつも通りに目を覚ましたピサロが、黙々と身支度を整えていると、背後から声がかけ

られた。

「‥貴様はまだ休んでいろ。ソロを起こさぬような。」

上体を起こしたクリフトに、静かに返したピサロが、足音を忍ばせやって来た。

動く気配に身動ぐソロをそっと覗き込み、密かな吐息を落とす。

「‥本当に悪夢は去ったようだな。」

安らいだ寝顔にほんのり笑んで、ピサロはそっと彼の前髪を梳き上げた。

「…そうですね。昨晩のはどうにか‥」

クリフトは苦しげにこぼすと、隣に眠るソロの寝顔を見守った。

「ゆっくり休めるうちに休ませとけ。」

「‥解りました。では‥皆さんによろしく。」

そう言付けるクリフトに、肩を竦めて返したピサロが、戸口へと向かう。

パタン‥静かに閉じられた扉を見送って、クリフトは再び横になった。



すうすうと規則正しく繰り返される寝息に誘われるように、クリフトもうとうと眠って。

ふ‥と意識が浮上し、目を開けると、こちらに顔を向けたソロと目線がかち合った。

「…おはよ、クリフト。」

「おはようございます、ソロ。起きていたなら、起こして下さって良かったのに‥」

ふふふ‥と微笑む彼に、同じように笑んで返したクリフトが、そう言って彼の頭へ手を伸

ばす。

「ん‥だって。今日はクリフトもオフだしさ。ゆっくりしたかったんだもん。」

甘えるように擦り寄って、ソロは心地良さそうに手のひらの感触を享受する。

「身体は大丈夫ですか?」

「うん。平気。…あ、本当だよ?」

すっと顔を覗き込まれて、ソロが焦った様子で返した。

「‥そうですね。顔色も問題ないみたいですし。」

「うん。言ったでしょう? もう本当に大丈夫なんだって。」

「ええ。安心しました。」

「ね‥ご飯食べに行こうよ。オレ‥もうお腹ぺこぺこ。」

「そうですね。私もです。随分寝過ごしてしまったようですから‥」



「あら‥クリフトにソロ。今朝は随分のんびりだったのね。」

食堂へ向かうと、今日は待機のマーニャ・アリーナがティータイム中だったようで。

真っ先に彼らを見つけたアリーナが、声をかけて来た。

「うん。なんか寝過ごしちゃったみたいでさ。」

「昨日は久しぶりの前戦だったんだもの。疲れてたんでしょう?」

「‥そうかもね。でも、よく眠ったから、もうすっかり回復したよ。」

「ま、それでも。今日はゆっくり過ごすのよ、ソロ?」

「マーニャさんに振り回されなければ、ゆっくり出来ると思いますよ?」

「失礼しちゃうわね〜。今日はちょっかい出さないわよ。

 あたしだって、それくらいの配慮は出来るのよ?」

ソロを引き寄せクギを刺すクリフトに、マーニャがムスっと返す。

「くすくす‥。ピサロがね、今日は一日ソロ達をのんびり過ごさせてやれ‥ってね。

 言い置いて出発したの。だから‥夜のミーティングまで、ゆっくりしてね。」

「そうなんだ。ピサロがね‥。ふふ‥じゃ、また夜に。」

アリーナの柔らかな微笑みに、ソロも笑んで返して。苦笑するマーニャにも視線を向けて、

ひらりと手を振り歩き出した。



遅い朝食を摂った後、2人は散歩に‥と外出する事になった。

薄いブルーの空に染みるような白い雲。

穏やかな日差しに、心地よい風。

散歩には持って来いの日和。

「昨日は一日洞窟に居たから、こうして光の中に居るとホッとするな。」

「そうですね。風も気持ち良いですし、いい散歩日和ですね、今日は。」

「本当。のんびりするよねえ…」

にこにこと並んで歩きながら、他愛のないおしゃべりをして。

2人は公園のベンチに腰掛け、落ち着いた。



「‥ね、クリフト。」

しばらくぼんやり風景に見入っていたソロが、隣に座るクリフトに声をかけた。

「昨日さ‥ピサロと何話してたの?」

ソロと目線を合わせるように横向いた彼に、ソロが問いかける。

「え‥?」

「ほら‥。洞窟から戻った後さ。なんかピサロが言いかけてたろ? オレ、マーニャ達に

 引っ張られて部屋を出たから、結局聞きそびれてさ。なんだったの?」

「‥ああ。それですか。…たいした話でもないんですよ?」

「そう‥?」

微苦笑する彼に、ソロが納得行かない様子で眉を顰めた。

「…じゃ。それに答える代わりに‥ソロも聞かせてくれます?」

そんなソロに小さく肩を竦めて、クリフトが提案した。

「なんか‥そう言われると、ちょっと怖いけど。いいよ。それで。」

「ふふ‥そう身構えずとも大丈夫ですよ?」

ドキドキと試験の結果を待つかのような表情に、クリフトが微笑んだ。

「‥昨日ピサロさんが話していたのはですね。

 ‥ザキの呪文をあまり多用するな、との忠告だったんですよ。」

「…忠告? ‥どうして?」

「消耗の大きな呪文ですので。後が続かないと不味いだろう‥と。」

「消費魔力が大きいんだ、あの呪文。だから‥あんまり使わないんだね、クリフト。」

「ま‥そういう事です。

 不測な事態でも対処出来るだけの余力は、常にキープすべきだろう‥と。」

「まあ‥そうだけど。そう上手く配分出来ないよね、実際は‥」

魔力が尽きて、思いがけない苦労をした経験は、ソロのみならず当て嵌まってしまう‥。

苦く笑うソロに、クリフトも相槌打って笑いかけた。

「では‥私の方から訊かせて下さい。

 昨日‥あの洞窟で、何があったんですか?」

「…はぐれちゃった時のコト?」

ジッと見つめられて、思わず視線を落としたソロが、躊躇いがちに返した。

「ええ。昨晩の悪夢と何か関係してるのでは‥と、ピサロさんも心配なさってましたよ?」

「‥そっか。そう‥だよね。クリフト起こしちゃったんだもん。ピサロも気づいてたんだ。

それで‥マーニャ達にあんなコト言ったんだ。…ホント、過保護なんだなあ。」

「私も魔王さんも、最優先事項はソロですから。」

小さく笑うソロを抱き寄せて、クリフトがにっこり言い切る。

「もお‥。クリフトが甘やかすから、オレ‥どんどん甘ったれになってくんだ。」

「甘えて下さい。いくらでも‥ね。」

こてん‥と身を委ねてくるソロを抱きしめて、クリフトが囁いた。

「…あのね。昨日は‥戦闘の後にね、みんなと合流するつもりで、迷路に嵌まっちゃった

 の。そしたら‥行き止まりになっちゃって…。そこにね、大きな樹木があったの。」

ぽつぽつと、ソロは回想するよう語り出した。

「…暗がりの方から水音が響いてね。‥根っこが縄みたいに絡まったソレが‥動いたよう

 に見えて。…思い出したんだ。あの暗い洞窟を‥。そしたらね、急に苦しくなって‥‥

ピサロが‥来てくれたんだ。」

「‥そうだったんですか。厭な事まで思い出させてしまいましたね。すみません‥」

「ううん。‥いいの。言えずに抱えてたから‥あんな夢、見ちゃったんだ。よく覚えては

いないんだけど。何か黒いモノが追って来て‥オレを捕らえようとするの。‥怖かった。

 目を覚ましたら、夢だった‥って分かったけど。でも‥ね。」

ソロがふと顔を上げて、クリフトと向き合った。泣き出しそうな瞳を伏せて、彼の胸に顔

を埋める。

「…でも、さ。‥あれは‥現実だもん。」

「ソロ…」

「怖かった…! 本当に‥怖かったんだ!!

 嫌なのに‥本当に嫌なのに。なにも出来なくて‥! オレ‥‥ん―――!!」

全身を震わせ叫ぶソロの唇が塞がれる。

「‥大丈夫。大丈夫ですよ、ソロ。」

動きを止めたソロに優しい声音で呼びかけて、クリフトはもう一度口接けた。

「‥ん、ふ‥‥‥」

「そう簡単に、恐怖心は拭えないかも知れませんが。‥こうして、側に着いてますから。

 受け止めますから、抱え込まず頼りにして下さい、ソロ。」

「‥ん。頼りにしてる。いっぱい‥。昨晩も…しっかり甘えちゃったし‥」

くすん‥と泣き笑いの顔で、ソロが再び彼の胸に擦り寄った。

「ずっと‥側に居てね。」

「ええ‥。約束したでしょう?」

「うん。大好き‥クリフト。」

きゅ‥と胸にしがみ着いて、ソロが呟く。覗うように顔を上げると、クリフトが柔らかく

微笑んだ。

「私もですよ。愛してます、ソロ‥」

互いに引き寄せられるよう唇が重なりあう。

しっとりした口接けは、遠くで聞こえた甲高い子供の声を合図に解かれた。

「‥宿に戻りましょうか?」

くすり‥と苦笑いしたクリフトに、ソロも同じように笑い返す。

「うん‥」

照れたようにそう答え、2人は立ち上がった。