『キスだけだよ』
キス…したんだ。
クリフトが斜め前を歩く青年をじっと眺めた。
「なんだ‥?」
「あ…別に‥」
視線に気づいた様子で目を逸らして、小さく返す。
怪訝そうに窺って来る気配を感じて。クリフトがそっと息を吐き、彼へと向き返った。
「…なんです? そんなにボンヤリしてました?」
困ったような微苦笑を浮かべて。クリフトが肩を竦めさせた。
尚も何か言いたげな鷹耶が口を開きかけた時、魔物との遭遇を告げられて。話が途切れた。
斜面の少し急な狭い山道。前方に立ち塞がるよう現れた魔物に、馬車の御者席から飛び出したアリーナを追って、鷹耶が馬車の横を走り抜ける。
既に臨戦態勢を整えたアリーナの横に並んだ鷹耶が剣を構えると、御者席からブライとミネアも飛び出した。
「トルネコは馬車を頼む! ピサロっ! あんたには後方の守りを任すからな!」
前方の敵を睨みつけながら、鷹耶が幌の中に声を掛ける。
「大丈夫よ。ピーちゃんならもう移動してるし~」
幌の後方へ移動しながら、マーニャが呑気に返答した。
幌の外には、ピサロとクリフトが不測に備えるよう構えて立つ。
「どうだ…こちらの様子は…」
ライアンが声を掛けると、前方に目を向けたまま、ピサロが口を開いた。
「いいタイミングだな。こちらもどうやらのんびりさせて貰えぬらしい…」
剣の柄に手を伸ばしながら、ピサロが戦闘態勢を取る。
どうやら戦闘の気配に惹かれて、魔物がやって来たらしい。
「クリフト、もう少し下がった方が良い。巻き添えになるなよ…」
ピサロと並んで前線に立ったライアンが、一歩後方で控えていた彼に声を掛けた。
「あ…はい。」
答えながら、クリフトは同じく後方支援の為、幌から降り立ったマーニャの隣に並んだ。
ピサロ・ライアンがやって来た魔物と戦闘状態に突入する。
後方支援など必要なかったように、呆気なく戦闘は終了した…そう思った時、突風が彼らを襲った。
「きゃ…」
「うわ…」
強風に叩きつけられるように、マーニャが膝を折る。クリフトも風に煽られて、ぐらりと体勢を崩した。
「新手か…!」
どうにかその場に止まっていたライアンが、上空に浮かんだ影を見て緊張した声を上げた。
その声に誘われるよう、クリフトの視線が自然とそちらへ向かう。
ほんの僅かだったが、地面から目が離れたのがまずかった。
「ち‥ちょっと、クリフト…!」
転倒したクリフトの体が、崖っぷちへ転がって行く。
手を伸ばそうとする彼女の動作が、妙にゆっくり感じられた次の瞬間、身体が宙に放り出された。
「うわあああああ…!!」
「クリフト…!!」
悲鳴に似た叫びを上げたマーニャが、あっと短く息を呑む。その声に振り返ったライアンは、崖へ向かう影に気づき、一瞬目を見張った。

逆さまに落下して行く彼を追いかけるよう飛び出したピサロは、どうにか空中で彼を捕まえたものの、落下速度を落とせず苦い顔を浮かべた。
「ち…結界か…」
魔力を封じ込められてしまった様子を察して、そうこぼした彼が着地に備えるよう思考を切り替えた。
間近に迫る濃い緑。張り出した幾つかの枝を折り、葉をクッションにしながらも、地面に放り出された瞬間の衝撃はかなりのものがあった。
「クッ…!」
途中で気を失っていたクリフトを庇うよう背中から落ちたピサロが衝撃に呻く。
普通の人間なら一溜まりもなかったろう衝撃に、ピサロは抱え込んだ青年を案じるよう伺った。
特に目立った外傷を負った気配はないようだと、安堵の吐息を漏らす。
彼を脇に横たえたまま大の字を描いて空を眺めて、大きく息を継いだ。
緑が遮って、落ちて来た崖の上までは窺えないが。魔力を封じられてしまっては、一行に合流するのは難しいだろう。
どうしたものかと思案に暮れていると、隣で横たわっていた青年が身動いだ。
「‥うん、あれ…?」
ぼんやり目を開けると、緑の下草と黒っぽい地面が飛び込んで来て、クリフトは不思議顔を浮かべた。
長い坂道を登っていた道中は、乾いて固まった土色ばかりが続いていた筈なのに‥
ゆっくり身体を起こして、ぼーっと周囲を見やる。
「‥怪我はないようだな。」
低い位置から届いた声に振り返ったクリフトが、びっくりした様子で目を開く。
「ピサロさん!? 大丈夫ですか?」
地面に大の字で横たわったままの彼を案じるように、クリフトが身体を起こした。
「ああ、問題ない…と言いたい所だが‥」
ふう‥と嘆息するピサロの全身をザッと眺めたクリフトが、不自然に折れ曲がっている足に気付き回復魔法を唱え始めた。
ピサロが何事か伝えようと口を開いたのと、回復魔法が発動始めたのはほぼ同時で。ピサロは声を発するより前に、意外そうな面持ちで、彼の治療を見守った。
「ピサロさん、足の負傷以外に怪我はありませんか?」
「あ、ああ…大丈夫だ。‥驚いたな。」
ゆっくり身体を起こしながら、ピサロがクリフトを眺める。
「え‥何がですか?」
「ここは結界の中らしくてな。‥私の呪文は封じられてしまっているのだ。」
「え‥結界?」
クリフトがキョロキョロと周囲に目を移した。ただの森にしか見えないのに‥と、不思議顔で空を仰ぐ。
「‥よく、分かりません。」
首を捻りつつそう返すと、魔王がクスリと微笑んだ。
「…恐らく。相当古いモノなのだろうな。ヒトに対するモノでなく、魔を払う結界なのだな。貴様が感知しないというのなら…」
「魔を払う…」
「近くに神殿跡でもあるのやも知れん。」
「あの‥他の皆さんはどちらに?」
クリフトが訊ねると、ピサロが天をふり仰いだ。
緑の屋根に覆われたその向こうに、切り立った崖と空が僅かに見える。
「‥えっと。もしかして、僕はあそこから落ちたのでしょうか?」
「そうだ。」
戦闘中に崖から転落したのを思い出して、サーッと青ざめる。
それから、そんな高い所から落ちた割に怪我を負っていない自分と、魔力を封じられ怪我を負った魔王がここに居る事実を併せて、現状を理解した。
「すっ‥すみません。ピサロさん!
 怪我を負ったのは、私のせいだったのですね!
 面倒かけたばかりか、怪我まで負わせてしまったなんて‥‥」
「怪我は先程貴様が治癒したではないか。気にする必要はない。」
「でも…」        治癒した→なおした
「それよりも、問題はどう奴らと合流果たすかだ。」
魔法が封じられてしまったので、飛ぶ事も適わないとピサロが腕を組み唸った。

 
「なんだって!? クリフトとピサロが!?」
一方崖の上の道では、連続して襲って来た魔物の群を蹴散らした後、馬車の後方を守っていたライアンとマーニャに事情を聞いた鷹耶が、衝撃を受けていた。
「ここから落ちたのか‥? どれくらい前だ?」
「う~ん‥新手が来て戦ってたから、はっきり覚えてないけど。四半刻くらい?」
マーニャが顎に手を添え記憶を辿るようにしながら、ライアンへと確認する。
「うむ‥。それくらいかな。済まぬな鷹耶。拙者がもっと気をつけておれば‥」
「ピサロがすぐに追ったんだろ? ちゃんと無事で居てくれるさ‥。だが‥奴ならすぐに合流して来そうなのが、まだ戻らないのは気になるな。不測の事態があったのかも知れねー。」
鷹耶は二人が落ちたという場所から下方を覗き込んで、深刻な表情で呟いた。
「‥俺が直接降りて確認して来る。」
「は? あんた一人で行くつもり?」
「トルネコ。ちょっと荷物纏めてくれねーか?
 二~三日凌げそうなモノ鞄に積めてくれ。
 アリーナ。後の事はお前に任せる。
 日が暮れる前に俺が戻って来ない時は、街で待っててくれ、いいな?」
「分かったわ。こちらは心配しないで。鷹耶も無理はしないでね?
 クリフトなら戻れないと判断した時点で、合流場所に移動してる可能性も高いわ。」
「ああ‥分かってる。降りてみれば何かしら分かるだろうから確かめたいんだ。」
 
トラブルに巻き込まれた可能性も排除出来ないだろうと、心配顔で鷹耶は崖の下を窺う。
「鷹耶さん。用意出来ましたよ。」
「サンキュートルネコ。じゃ、後の事任せたぞ。」
そう言うと、鷹耶はザッと崖から飛び出した。


やや時間を遡って、クリフトと魔王。
魔法が封じられているなら、腰のポーチにキメラの翼が入ってると、ポンと手を打ったクリフトだったが‥崖から転落した際中身をぶちまけたのだと知って、ガッカリ項垂れていた。
「すみません‥。ちゃんと留め具の確認しておけば‥」
「戦闘中のトラブルだったからな。致し方あるまい。」
「でも…!」
言い募ろうとしたクリフトの口に咄嗟に手を宛てがわれる。にわかに緊張を孕ませたピサロの様子に押し黙ると、ザッザッと枝をかき分けているような音が近づいて来ているのに気づいた。
(移動するぞ…)
仕草でそう示すピサロにクリフトが慎重に頷く。
二人は近づいて来る足音から離れるように、森の奥へと移動始めた。
距離を稼いだ時点で、ピサロが口を開いた。
「この辺りに暮らしてるんだろう。人間が三人。武器を携帯していた。」
「え…人間だったなら、逃げずとも訳を説明すれば…」
「結界が破られたとピリピリしていたからな。私と居ればいらぬ誤解を受けるだろう。
 かと言って、どういう場所かも判らぬまま、お前一人に任せる訳にも行かぬしな。」
「ピサロさん‥」
崖から転落した時も、そして今も、クリフトの身を案じてくれているような彼の行動に、言葉に迷ってしまう。
「お前にはロザリーが随分親切にして貰ったそうだしな。
 それに‥お前に何かあれば、鷹耶が苦しむだろう?」
惑う彼に小さく息を吐いて、ピサロがそう返した。
「鷹耶…。ピサロさんは、鷹耶さんの事‥好き‥なんですか?」
「は‥?」
思いがけない問いかけに、ピサロが目を丸くする。
「‥キス‥したって聞きました。」
「ああ‥あれか。全く寝付けず居たのでな。ただの気付けだ。他意はない。」
あっさり答えるピサロに、唇を尖らせたクリフトが探る瞳を一瞬向ける。
「でも‥メンバーの中で一番構っていらっしゃいますよね?」
「確かに。割と気に入ってはいるな。だが‥」
ニッと笑って、ピサロは一歩足を踏み出し、すっと手を彼の顔へ伸ばす。
「私はお前の事も、割と気に入っているんだが‥?」
ひた‥と頬に革手袋を宛てがわれて。クリフトは絶句した。
『あいつにはな、絶対隙見せんなよ。あいつ‥お前にも興味持ってるらしいからな!』
鷹耶の言葉が蘇る。あの時は全く相手にしなかったが。まさか‥‥
『うっかりしてると食われるぞ。』
そんな余計な言葉も思い出してしまって。クリフトは真っ赤になって、後方へと思い切り飛び退った。
「あ‥おいっ!」
すぐ後ろが斜面になっていたのも失念していたせいで、足元のバランスを崩し傾いだ身体をピサロが慌てて引き寄せる。
が、砂地の斜面は傾いた身体を支える事も適わずに、ピサロも一緒に砂の斜面へと引きずり込んでしまう。
「うわ‥っ‥」
「くっ‥!」
結局二人してゴロゴロと、斜面を転がる事になってしまった。
どうにか体勢を整えて、その勢いを殺そうと試みたが、結局二人はすり鉢状の斜面の底まで落ちてしまった。
「大丈夫か?」
「う‥どうにか。重ね重ねご迷惑おかけして‥」
クリフトを抱えるように庇ってくれていたおかげで、砂まみれだが大した怪我を負わずに済んだ事を申し訳なく思い詫びると、魔王がふわりと笑んだ。
「まあ、私にも非がある事だ。気にするな。」
ゆっくり慎重に身体を起こそうとしているクリフトに、ピサロはそう声を掛けると、周囲の様子を確認する。
それに倣うようクリフトも落ちて来た斜面を見上げると、深い溜息がこぼれた。
「結構急ですね‥」
急勾配の斜面を眺めて嘆息するクリフトが、這い上がろうと膝を動かした時、砂が動き始めた。
流砂は底に穴が開いたかのように、底部に居た二人を飲み込み沈んで行く。
「うわ‥」
「くっ‥」
砂の流れに抗う事も適わずに、二人は流砂に飲み込まれてしまった。

「…おい。…しっかりしろ‥‥」
ヒタヒタと頬を軽く叩かれる感触と、顰められた低い声音に、闇の中に沈み込んでいた意識が引き戻される。
ゆっくり瞼を開いたクリフトが、仄かに青白く光る床をぼんやり眺め、ハッと顔を上げた。
「気がついたか‥」
安堵の声が隣で響いて、クリフトは小さく返事をすると、周囲の様子に首を傾げさせた。
流砂に飲み込まれたので、地下にあるのは間違いない筈なのだが。今いる地面は石のように固く、まっ平らな場所で。しかも自分達は、青白い光が描く魔法陣の真ん中に居た。ふと天井を仰ぐと、真上に砂色をした円盤が見える。
「どうやらあそこから落ちて来たようだな。我々は‥」
「そう‥みたいですね。ここは‥何かの遺跡なんでしょうか?」
「恐らくな‥。立てるか?」
周囲の様子を確認しながら訊ねる彼に頷いたピサロが、手を差し伸べた。
「あ‥はいっ‥つぅ‥」
立ち上がろうと足首を移動させた途端、痛みが走った。苦痛に僅かに顔を歪めたクリフトが、痛めている箇所へと手を伸ばし、回復呪文を唱えたが‥
「あれ? 呪文が使えない?」
何の変化も現れなくて、クリフトが首を傾げさせた。
「どうやら、更に厄介な場所に落ちたようだな‥」
重い物を背負ったような嘆息をこぼしたピサロが、膝を着いた。怪我の程度を確認するよう慎重に足首へと触れる。
「折れてはいないようだが‥後で腫れて来るかも知れぬな。」
「はあ‥。なんとか体重乗せないようにして、ゆっくり立ち上がれば‥」
言いかけたクリフトの言葉を制するよう、ピサロが彼の口元へ手を広げた。それと同時にその気配が緊張を孕んだのを感じて、クリフトは彼が睨む通路の先へと目線を移す。
しばらくすると、カツカツと微かに足音が近づいて来ているのが分かった。
「先程の方々でしょうか?」
声を顰めて訊ねるクリフトに、ピサロが小さく首を振る。
「いや。この気配は人ではないな。恐らくは‥」
それだけ告げると、ピサロはやって来る気配に神経を注いで身構えた。


「何者だ!?」
ザザっと周囲を囲んだ男達が、武器を向け鋭い声音で誰何する。
林立する木々が視界を狭める中、男達は結界内に入り込んだ余所者を苛立った様子で取り囲んだ。
「物騒だなあ‥。あんたらこの辺の人? 
 俺さ、人探しているんだけど。あんたら知らないか?」
鷹耶は両手を軽く上げ、敵意がない事を示しながら、彼らへと訊ねた。
「人探しだと?」
「ああ。魔物との戦闘中、あの崖から仲間が転落しちまってな。魔法扱える者と一緒だったから、無事で居るとは思うんだが‥なかなか戻って来ないんで、迎えに来たんだ。」
少し離れた位置にある切り立った崖を指して、鷹耶が迷子のお迎えというような物言いで説明する。
「あの崖から落ちた? それで無事でいる訳が‥」
馬鹿馬鹿しいと言いかけた男が、ハッと思いついたよう仲間の名を呼んだ。
「おいヒナタ。先程結界が破られた時とほぼ同じ頃、何かが落ちて来たと報告してたな。」
「は、はい! 東の森で大きな物音を聞きました!
 勢いよく落下していたようだったので、崖崩れでもあったのかと思ってましたが。
 その直後、結界が破られたと知り周囲を探索。落下地点は見つかりましたが、何も残ってませんでした。」
「それだ! その場から移動してるって事は、やっぱり無事だったんだな。」
喜色を浮かべる鷹耶に、責任者らしき男が渋面を作る。
「ここに張られた結界は、魔を退くもの。
 それに反応する者を仲間と呼ぶ貴様、一体何者だ?」
一度降ろした武器を再び彼に突き出して、男が問うた。
「魔を退くねえ。そりゃあ、反応するだろうさ、あいつには。だがな、人でなかろうと仲間には違いねえ。それにもう一人共にあるのは、お人好しな神官さまだぜ。彼らに徒なすつもりなら、こちらも遠慮なく行くが‥?」
携えていた剣の柄に手を伸ばした鷹耶が、鞘から刀身を覗かせて口の端を上げた。
先程までとは打って変わった剣呑な眸に、一同が気圧されたよう一歩下がる。
「な‥っ! こいつ、奴らの仲間なんじゃ‥!」
「そうだそうだ! 地下の連中の一味に違いない!」
鷹耶の背後に立っていた若い男達が、訝ったようにまくし立てた。
「ま‥待て。お前達。小奴の持つ剣‥それは神剣ではないか?」
鷹耶が持つ刀剣を指さしながら、まさかという表情で確認する。
「神剣? 竜の神が寄越した武具だから、まあ似たようなものか‥?」
「な‥なんと! ではもしやその方が、伝説の勇者なのか?」
「「伝説の勇者‥?」」
ざわざわと一同が困惑顔で互いを見やった。
「ああ‥なんか懐かしい響きだな、それ。」
旅を始めた頃よく耳にした言葉に、鷹耶が苦く笑んだ。
「では本当に‥?」
「天空の武具が扱える者をそう呼ぶなら、その通りだな。
 ‥でだ。俺ははぐれた仲間を探しているんだが‥見たのか、見なかったのか?」
 鷹耶の問いかけに、一同が顔を見合わせて首を左右に振る。
「落ちた場所は確認したんだったな。案内してくれ。」


鷹耶が土地の人間とコンタクトを取った頃。地下の空間では…
ピサロとクリフトが、応接セットの置かれた部屋でテーブルに用意されたお茶を前に、落ち着かない様子で腰掛けていた。
あの時、やって来たのは獣耳の半獣人と魔族の青年で。彼らは物珍しそうに自分達を見た後、この部屋へと案内したのだ。
クリフトの怪我は、あの魔法陣のある部屋から出ると魔法の使用も適うとの事で。すぐに治療が適ったのだが‥
「ふう‥。一体ここはどういう場所なんですかねえ?
 好戦的な方々ではないようでしたが。いつまで待たされるのでしょうか‥?」
すぐに立ち去るつもりだと話したピサロだったが、取り込んでいるので今は対応出来ないと、この部屋へ通されてしまったのだ。
クリフトがボヤくようこぼした後、湯気を立てるティーカップへと手を伸ばす。
そっと匂いを確かめて、飲み慣れた紅茶の香りそのままだったので、一口含んでみた。少し冷めてしまっているが、特に違和感もなかった。だから安心してコクコク飲み進めたのだが‥
「む‥? クリフト、待て。これは‥」
彼に遅れてカップに手を伸ばしたピサロが、口に含む前に注意を促した言葉は、もう遅かった。
「え‥? 何か毒が盛られてたんですか?」
さあーっと顔色を変えたクリフトが、喉元に手を宛てる。
不安顔でピサロをじっと見つめて口を開きかけたその時、扉がバタンと開いた。
「いやですね。そんな物騒なモノは入れてませんよ。」
入って来たのは先程の魔族。後方には獣人の姿もあった。
「ちょぉっと、口が軽くなるお薬入れただけ☆」
「なっっっっ! なんで、そんなものを?」
ニコニコっとクリフトの顔を覗き込むよう告げられて。クリフトが困惑と混乱が入り交じった様子で返した。
「一応怪しい進入者ですしー。
 頼み事を任せられるだけの者か見定める為にもですね、これが手っとり早いかと。」
「そ‥そりゃあ。僕らを怪しむのは解りますけど。
 頼み事があるからとか、全然理解出来ませんからっ!」
真っ赤な顔で答えるクリフトに適当に相槌打ちながら、男がピサロの前へと移動する。
「ああ‥やっぱり、こっちは引っかからなかったか。胡散臭いのは、こっちなんだけどねえ‥」
「ふん。あまりふざけた真似すると、こちらもそれなりの対応するだけだが‥?」
「おー怖い。仕方ない。人間に訊ねるとしましょうか。ここへ来た目的を。」
ギロっと冷たく見据えられて、大げさに怖がった男が口調を固く変え、クリフトを見つめた。
「先程も説明した通り、崖から落ちた後移動している最中流砂に飲まれて、落ちた所があの魔法陣のある場所だったんです。来たくて来た訳じゃありませんから!」
「本当にそれだけか?」
「それだけです! 早く戻らないと、仲間を心配させてしまうじゃありませんか!」
「先程も話したが、我らは旅の途中だ。短気な男もいるから、さっさとここを出て合流したいのだが?」
クリフトの言葉を継いで、ピサロも会話に加わった。
「うむ。我らも難儀しているのは、それよ。」
後方でやり取りを見守っていた獣人が、重い口を開いた。
「どういう事ですか?」
「‥十日前の事だ。貴様らが落ちて来たあの場所に、子供が落ちて来たのだ。」

彼の話によると、怪我を負った子供が迷い込んだとの事だった。怪我の方は魔法で治療施せたのだが。問題は、その子供が酷い熱病に冒されていた事だった。回復するまでは帰す訳にも行かないだろうと、留め置いているのだが。地上の人間が[子供をさらった]と決めつけて、これまで以上に出入り口の見張りが厳しくなった為、必要な薬すら採りに行けずに困っているのだと伝えた。
「子供が病気に? 薬があるのなら、そう説明して彼らの元に戻してあげたら良いんじゃありませんか?」
「‥人間に伝染る病なのか?」
「そういう事です。」
ピサロの言葉に魔族がコックリ頷いた。
「けれど‥その子供が元々誰かから伝染されたのだとしたら、既にその地上の人々にも流行している可能性ありますよね‥」
クリフトがぽつりと思ったままを口にすると、獣人が今気づいたとばかりに動揺する。
「おお‥それは思い至らなんだ。そうか‥意味なかったか‥」
最初こそ警戒したものの、本気で悩んでいる獣人がとても好ましく映って、クリフトがクスリと微笑んだ。
「あの‥良かったら、もう少し事情伺ってもよろしいですか?
 ここがどういう場所なのか。地上の人間との関わりも‥」

彼らの話に寄ると、ここは古い遺跡で。獣人‥狼族がこちらへ移り住むようになったのは三百年程前。その頃この遺跡には、神殿を護る役目を負っていたという一族が地上の神殿周辺に小さな集落を築き暮らしていた。
狼族は住んでいた森を人間に追われる形で追い出され、安住の地を求めて流浪し、ここへ辿り着いた。
詳しい経緯は彼も知らないそうだが、狼族はやがてこの地下神殿を護るようこの地に留まり、地上の人間とも親しく暮らしていたらしい。今から百年程前までは。
「百年前に何があったんですか?」
「さっき話した熱病だ。それで集落があっと言う間に全滅したそうだ。」
「では、今地上で暮らしているという人間は‥」
「五十年前くらいから、少しずつ増えて行ったようだな。どうも我らに脅えているようだったので。互いに干渉せずにあったが‥最近は、疎んじられているのがはっきり伝わって来てな。」
狼族の長だという男が重い溜息を混ぜつつ答えた。
「その者の話では、ここへ移り住んで来た人間もまた、魔物達に故郷を追われて来た者だろうと。人間にとって、魔物も我らも大差なく映るのだろう‥」
彼の隣に立つ魔族の男をチラリと伺って、そう吐息を落とす。
「あなたは‥ここへはどういった経緯でいらしたんですか?」
「私は爺様の遺品を整理してたら、この遺跡に纏わる昔語りを見つけてね。ちょいと興味が沸いたので、物見遊山にやって来て、そのまま住み着いてしまったのさ。」
すっかり砕けた口調になった男が、クリフトの質問に答えた。
きれいに切り揃えられた長い鳶色の髪をポニーテールにしたこの魔族の男は、金色のつり上がった目と尖った長耳以外人間と変わらぬ姿をしている。トニアスと名乗った彼の見た目は二十代後半だが、狼族の長であるヴィーノよりもずっと年上なのだという。
狼族の長ヴィーノは、トニアスよりもやや年上に見えるだけだが、八十歳。狼族としてはまだまだ若輩だそうだ。
不揃いに伸びた赤茶の髪は裾の部分だけが腰に届く長さがあり、根元で一括りされていた。特徴あるふさふさな左右の獣耳とやはりふさふさな尻尾以外は人間と変わらない姿をしている。焦げ茶の瞳は人懐こさを伺わせた。
彼らの話から、大まかな事情は理解したが。それでもよく解らない事がある。それは‥
「人間との関係は理解したが。
 それと、ここから出られない話はどう結びつくのだ?」
腕を組んだまま黙って話を聞いていたピサロが口を開いた。
「ああそれな‥。これを見てくれ。」
ヴィーノとトニアスが顔を見合わせ頷くと、トニアスが徐にテーブルへと図面を広げた。
「これは爺様の遺品にあったこの遺跡の地図だ。ここが、お前達が落ちた魔法陣のある部屋。で、ここがこの地下遺跡の出入り口になっている場所‥」
古めかしい地図はかなり不鮮明だったが、遺跡は思っていた以上に大規模だったものだと伺えた。
自分達が落ちたあの場所は遺跡の端にあり、出入り口だと示されたのは、地図の中央部分で。円形のドームらしきものがそこには描かれていた。
「でだ。このドームを囲むようにある柱。この内側は闇の魔力が封じられた領域でな、人間達が暮らす集落もその中にあるんだ。」
勾玉のような形を造る柱を指してそう説明すると、その対になるようにあるドームと勾玉をクリフトが指差した。
「こちらはひょっとして、人間の魔力が封じられてしまう領域とか‥?」
「ん‥? ああ。かつてはそうだったようだな。光の魔力が封じられていたらしい。」
「かつて?」
「ああ。今はもう、こちらの祭壇の杜人が居ないからな。そのせいで、本来の役割を果たせなくなっているようだ。」
「成る程。それであの強力な結界‥という訳か。」
それまで黙ってやり取りを聞いていたピサロが、得心いったとばかりに頷く。
「え‥どういう事ですか?」
「光の魔力が暴走しているのだろう。この周辺一帯は‥」
首を傾げるクリフトに、ピサロが説明した。
「光の暴走‥。ピサロさんの魔法が封じられてしまったのは、そのせいだと?」
「問題なのは、この領域内には、更にキツい制約がかかっているという事だ。
 魔力の高い者程、圧力が大きいみたいでな。」
「殺気立った連中とここで対峙するのは、ちと難儀でな‥」
ヴィーノがふう‥と重い吐息をはいた。

「‥なんだか妙な事になりましたね。」
結局。その後も込み入った話が続いたのだが、夜も大分更けて来た頃合いで、ヴィーノは二人に部屋を用意した。
続きは明日改めてと、今夜は泊まるよう勧められたのだ。
実際クリフトの方は相当疲労していたし、ピサロも魔法が封じられた状態で強行突破も難しいと判断したのか、大人しく彼らに従った。
クリフトが手近にあったベッドの縁に疲れた様子で腰を下ろす。
「大丈夫か?」
少し緩慢に見えた動作が気になって、ピサロが彼の前へと移動した。す‥と額に手を宛てると、思った通り発熱している。
「先程の薬の副作用か? ‥流行病の方ではないと思うのだが‥」
「あ‥いえ。ただ疲れただけだと思います。昔はよく熱出してたので。
 今でも時々‥すみません。ご心配おかけして…」
案じるように覗き込まれたクリフトが、弱々しく微笑んだ。
「‥いや。何か必要なものはないか?」
「ええ。一晩休めば回復すると思いますので‥」
「そうか。ならば今夜はもう寝床に入ってゆっくり休む事だな、クリフト。」
「え‥ええ…」
ぽんと離れしなに肩に手を置いたピサロを、クリフトがびっくり顔で眺めた。
「なんだ?」
「あ‥いえ。名前‥呼ばれたなあと、思って…」
「ん‥? ああ。そう言えば、鷹耶に禁止されてたな‥」
「そうでしたね。」
クスクスっと、思い出したようにクリフトが笑う。
「で‥どうなのだ?」
「え‥」
「お前が呼ばれて不快というなら、気をつけるが?」
まるで悪戯を思いついたかのように、紅い瞳が細められた。
「別に不快じゃありませんよ。鷹耶が心配性なだけです。」
「そうか。ならば今後は遠慮なく呼ばせて貰うとするが‥いいんだな、クリフト?」
「ええ‥どうぞ。ふふ‥なんだか少し擽ったいですね‥」
熱っぽい顔で人懐っこく微笑まれて、ピサロが口の端に僅かな笑みを滲ませたのだが、更に熱が上がったらしいクリフトは、全く気づかないまま横になってしまった。
ややあって。規則正しい寝息をたて始めたクリフトの枕元に立ったピサロが、その様子を確認するよう身体を折る。
「‥ロザリーと同じ事を言うのだな、お前は…」
鷹耶が彼に惹かれた理由がなんとなく判った思いで、静かに眠る彼をしばらく眺める。
「ゆっくり休むんだぞ…」
そう声をかけて、ピサロは踵を返すと戸口に向かって歩き出した。


地下空間では、朝も夜も変化ないと思っていたが、朝になると明かり取りの窓から射し込む光が室内を明るい空間へと変えた。
目を覚ましたクリフトが、ランプとは違う光源で明るくなった部屋を、不思議な心地で眺める。
「朝…なんですね‥」
「目が覚めたか、クリフト。」
「あ‥おはようございます、ピサロさん。」
すっかり支度の整った様子の彼に応えて、クリフトもベッドから抜け出した。
「調子はどうだ?」
「はい。しっかり休めましたので、もう大丈夫です。」
元気に返すクリフトの前までツカツカ移動したピサロが、すっと額に手を宛てる。
「熱が下がったのは確かなようだな‥」
「ピサロさん‥子供じゃないですから…」
照れた様子で頬を赤らめて、憮然とした顔を作るクリフトに、ピサロが吹き出した。
「そういう顔すると、更に子供っぽさが増すだけだと思うが?」
「いいんですよ、どうせどんな反応したって、からかわれるんですから。」
開き直った物言いに、ピサロがくつくつ笑う。そんな彼の姿に、クリフトも顔を綻ばせた。
どちらかと言うと無口な方だと思っていた彼が、昨日からこうして自分との会話に付き合ってくれているのは、彼なりの気遣いなのだろう。仲間とはぐれて、見知らぬ土地に迷い込んでしまった中でも落ち着いていられるのは、信頼出来る仲間と共にある事が大きいのだろうとクリフトは思うのだった。

身支度を整えた二人は、昨日彼らに最初に案内された部屋へと向かった。
そこで朝食を摂りながら、トニアスが昨日伝え切れずにいた現状をクリフトに説明した。
それに寄ると、まず病に伏している子供の容態から、回復までにはまだ二週間程必要だと言う事。但し、薬のストックがもう三日分程しか残っていない事。薬を採りに行くには、往復二日必要だと言う事を聞かされた。
「‥それでは、すぐにでも薬の補充に出発しないと、間に合わないのでは?」
食事を終えたクリフトが、飲み物を含んだ後、そわそわした様子で一同を見渡した。
「ああ。それで頼みたい事というのがな‥」
ヴィーノが固い表情で口を開く。
「昨日も説明した通り、ここの本来の出入り口には人間の見張りが張り付いている。そこでだ。お前達にその見張りの注意を引きつけて貰って、その隙に我らが結界の外へ脱出する‥と。多少危険が伴うかも知れぬが、引き受けてくれるか?」
「注意を引きつける‥というのは、戦いを挑めという話ではありませんよね?」
「ああ。だが、向こうから刃を向けて来る可能性は高い。」
確認をと訊ねたクリフトに、トニアスが答えた。
「私としては、事情を説明して理解して頂けたら、それが一番良いのではと考えるのですけど。」
「説得出来るならば、それが良いのは確かだがな。その為に割く時間がないのだ。」
「そうでしたね‥。分かりました。それでは、私が最初に神殿を出て、その見張りの注意を引きつけます。その間にお二人は薬草摘みに出発して下さい。」
「ああ、難儀だが頼む。」
「大丈夫です。これでも私は冒険者ですし。魔法や力が封じられても、この方もそこらの人間に遅れを取る程やわじゃありませんから。ね、ピサロさん。」
「‥まあな。だが、お前に危害が及ぶようなら、二人の離脱確認後に、我らもこの地を出るぞ?」
「‥はい。説得が無理な時は、仕方ありません‥」
無理に留まれば、ピサロに人間を傷つけさせてしまうかも知れないと、彼の負担を理解して、クリフトが頷いた。

そして。細かな打ち合わせも済んだ四人は、遺跡の入り口へと向かった。途中ここで暮らす狼族ともすれ違ったが、事情を既に聞いているのだろう、好意的な声を幾人かからかけられた。
「皆さん友好的なんですね、本当に‥」
人間との溝が大きく開いているとは思えない愛想の良さに、クリフトがぽつんとこぼす。
「新月の日は結界の効力も弱まるのでな。その日は外で過ごす連中も多いのだ。結界の外まで行けば、人間の姿に変化する事も適うしな。人間の町へ遊びに行く者も多いぞ。」
「人間の町まで? ここから近くにあるんですか?」
「ん? う~む、二~三日はかかるな。急いでも。」
「え‥それじゃあ‥一度外に出ると、何日も戻らない事も?」
「ああそうだな。」
当然と返されて、クリフトが苦笑した。地下空間に閉じこめられたような生活を送っているのだと思っていた狼族の暮らしは、実はかなり自由奔放だった。

地下への出入り口は、幅の広い階段が建物二階分はたっぷり続いて地上へと伸びていた。
階段の中央辺りに、巨大な柱が天井よりも更に高く聳え立ち、地上にある神殿の屋根を支える支柱となっているようで、クリフトは真実この地が古い遺跡なのだと、改めて実感した。
自分が学んだ歴史の中には登場しなかった、忘れ去られた遺物。うっかり状況を忘れそうになって、クリフトはブンブン首を振って、正面を注意深く探った。
地上の明かりがそのまま届く距離まで階段を登った所で、一旦足を止める。
隣にはピサロ。数歩遅れた場所にヴィーノとトニアスが足を止めたクリフトへと視線を注いでいた。
「それでは、私達はこのまま階段上まで目指します。」
「ああ。我らは距離を置いて‥」
「し‥人の声が近づいて来たようだ。」
ヴィーノの言葉を遮ると、ピサロが耳をそばだてた。
ややあって。確かにがやがやと外が賑やかになったのが、クリフトにも分かった。
「やはり見張りが随分出てるのですかね‥?」
ゴクリ‥と、クリフトがにわかに緊張した様子で呟く。
「確かに‥いつもより多いようだな。」
トニアスが彼の言葉を次いで話す。
「む‥? これは‥」
外の音を注意深く聞いていたピサロが、一瞬緊張を解いた。
「どうしたんですか?」
「鷹耶が上に居るようだ。勇者さまと呼ばれている‥」
「え‥鷹耶が?」
なんとも言えない表情で説明するピサロに、クリフトもビックリ顔で返した。
「勇者‥? お前達の仲間‥なのか?」
「あ、ええ。まあ‥」
首を傾げるヴィーノに答えると、その隣で苦々しい表情を浮かべたトニアスが口を開いた。
「勇者だと? あのエスタークを倒したとかって噂の?」
「え、ええ‥」
「噂だと、デスパレスで王の名乗りを上げてた男‥デスピサロをも倒したって‥
 ん? あれ…?」
トニアスがその名に引っかかりを覚えて、目の前に在る男へと目線を移した。
「え‥っと。彼がその…元・魔王さんです…」
なんとなく気づいてないのかな…思っていた通りだったので。意外ではなかったのだが、憮然と押し黙ったままのピサロをあまり刺激しないようにと目で訴えながら、クリフトが説明した。
「なんだかよく分からぬが。上に居るのはお前達の仲間なのだろう?
 お前が望む通り、交渉しやすくなったのではないか?」
「え…ああ。そうですね。では、少しだけ待っていて頂けますか?」
ヴィーノに答えると、クリフトはピサロと共に階段を登り始めた。
「ん…? 止まれ。」
半分程登った辺りで、ピサロが足を止めクリフトを制した。
「なんですか?」
「鷹耶が一人でこちらに乗り込むつもりらしい。」
「え…?」
声を顰めてそう告げると、ピサロはクリフトの腕を引き、来た道を引き返す。
「どうしたんだ?」
下で待っていた2人が、戻って来た彼らを怪訝そうに眺めた。
「勇者が単身で乗り込んで来るようなんでな。
 話し合うならここまで来て貰った方が早かろう。」
「…誰か居るのか?」
階段をゆっくり降りて来た鷹耶が、前方に気配を感じたのか、剣を構えつつ声を発した。
鷹耶が周囲に気を配りながら、更に慎重に階段を降りる。
巨大な柱を通り過ぎた所で、彼は柱の陰から伸びた何者かの腕で口を塞がれてしまった。反撃をとすぐに反応した彼だったが、行動に移す前に手を下ろしてしまう。
「…どういう事だ?」
剣呑な瞳で自分を押さえつけた主を睨み付け低く問う。
「鷹耶さん。詳しい事情はあちらで…」
そんな彼の正面に立ったクリフトが、小声で話しかけた。
「クリフト! よかった。無事だったんだな…!」
一応声を抑えつつも、安堵の表情を満面に浮かべて、鷹耶が彼を抱きしめた。

鷹耶と合流を果たし階段を下って行くと、ヴィーノとトニアスが待ち構えるよう立っていた。
「彼らは?」
「紹介します。こちらがこの神殿を護っている狼族の長ヴィーノさんです。
 そしてこちらが…」
「トニアスだ。縁があって滞在中でね。」
「鷹耶だ。連れが世話になったようだが…上で聞いてた話と大分違うようだなあ‥」
鷹耶が両者をじっと眺めた後、ぽつんと独りごちた。
「一体どうなってるんだ?」
「それがですね‥」
鷹耶の疑問にクリフトが掻い摘んでその事情を説明した。

「成る程‥行方不明の子供というのは、本当にここに居たのか。
 そして病に冒されていると‥」
「ああそうだ。その薬がもう残り少なくなったのでな。
 補充しに外へ行かねばならぬ。だが‥」
「出口をがっちり抑えられて、外出もままならない‥か。」
ヴィーノの言葉にそう返した鷹耶が嘆息する。
「その子供が罹っているという病だがな。上でも既に感染者が居たぞ。手当てしていた連中も相次いで倒れたとかで、隔離されてるみたいだが‥。伝染病なのか?」
「ああ。そうか、やはり手遅れだったか。以前この地で暮らしていた人間がそれで全滅してな。その再現にならぬよう子供を預かっていたのだが‥」
クリフトが指摘した通りの最悪の事態に、ヴィーノが心痛に顔を歪めさせた。
「治療法はあるんだろ?」
「ああ。以前ここから少し離れた集落で、同じ病が流行してな。その際土地で代々伝わるという薬草探しに、我が一族も関わってな‥」
「その残り少ない薬とやらは、どれくらいあるんだ?」
「およそ三日分かと。」
「子供一人で三日分か。上で寝込んでいるのは、子供二人と大人二人だそうだ。一日分にもならないか‥」
「ヴィーノ様。私が直接診に参りましょう。」
階段下で話し込んでいたので、集まって来ていた一族の中の一人が名乗り上げた。
焦げ茶の長い髪を緩く一つに束ねた女性は、特徴あるふさふさの耳を除けば人間と変わらない姿をしている。ヴィーノより年嵩に見えるが、背筋をぴんと伸ばした姿は凛として美しい。
名乗りを上げた女性はユノカという薬師で、彼女の申し出を受け、鷹耶が彼女と共にまずこちらで保護されている子供の元へ行き、容態を確認する事となった。
案内された小さな部屋のベッドに、十歳くらいの少年が寝かされていた。鷹耶がそっと近づいて、その様子を確認する。
「大分落ち着いてはいるようだな‥」
整った呼吸を繰り返して眠る姿に、鷹耶がホッと呟いた。
「ええ。ですが、熱が下がってまだ間がないので。薬はもうしばらく飲ませないといけません。」
「安定はしてるが、まだ治療は必要という事か。」
「はい。」
「上の連中は、皆随分な高熱に苦しんでいた。その薬があれば、熱も下がるんだな?」
「ええ、恐らくは‥」
鷹耶は少し考えた後、彼女にこの子の今日の分の薬以外を持って着いて来てくれるよう頼んだ。

鷹耶はユノカを連れて先の四人と合流すると、一同を見渡した。
「ヴィーノだっけ。薬を取りに行くのに一日かかるという事だったが。そこへ馬車か気球で向かうのは可能か?」
「そうだな。砂漠を越えれば真っ直ぐ向かえるが。馬には難儀な道のりだぞ。気球ってのは知らんが‥」
ヴィーノが後半首を傾げて答えると、トニアスが鷹耶の前に地図を広げて見せた。
「古い地図だが‥今居るのがここ。目指す場所はこの辺りらしいぜ。」
見るとこの遺跡をしばらく進むと砂漠が広がっていて、狼族が示したルートはその砂漠を囲むように広がる緑地帯で、目指す場所を一直線に向かうと砂漠を突っ切る形になるのが分かった。
「馬車の方が早そうだな。なら話は早い。」
鷹耶はにんまり笑むと、とりあえず地上へ向かおうと一同を急かした。

「おお‥勇者さま! お戻りですか。それで子供は‥ん?その者達は一体‥?」
階段を登って地上へ出ると、入り口で待ち構えていた男が早速声をかけて来た。だが、鷹耶の後ろに現れた人影に気づくと足を止め、怪訝そうに彼とその後ろに立つ面々を窺った。
「俺が探していた仲間のクリフトとピサロだ。その後ろの連中はここの地下神殿の住人だよ。一部ただの客分も混ざってるが‥」
「は‥はあ。私共はてっきり退治してくれるとばかり‥。何故一緒に‥?」
「ユノカ。彼女は薬師でな。病に倒れた子供をずっと看病してくれていた。
 あの病には有効な治療薬があるらしい。」
呼ばれて一歩前に出て会釈した彼女をそう紹介すると、遠巻きに眺めていた人間からどよめきが起こった。
「本当ですか!?」
病に倒れた子の父親が、ふらっと近づき問うた。
「彼らはな、地下神殿に迷い込んだ子供が病に罹っているのを見て、あんたらに伝染しないよう隔離して治療に当たっていたんだ。そして、こちらにも既に感染者が居ると知って、こうして薬師の彼女が残り少なくなった薬草を持ってついて来てくれた。」
「本当に治せるのか?」
訝しむよう長が確認する。
「はい。あの子供と同じ病ならば、この薬が効くと思いますので‥」
「長‥!」
子供の父が急くような声を上げた。
「‥うむ。とりあえず彼女を病人の元へ案内致せ。」
男に案内役を命じると、彼女が男に続くよう歩き出す。
「ピサロ。お前も一応一緒に行ってやってくれ。」
「‥了解した。」
呼ばれた魔王が短く返事をして、彼女の側に着く。
彼らが場を離れるのをしばらく見送って、鷹耶が口を開いた。
「さっきも言ったが。薬の残りがもう僅かしかねえ。それでな、こいつらがその薬を調達に行く算段してる最中だったと聞いてな。こうして会ったのも何かの縁だ。それに付き合おうと考えているんだ。」
「え‥勇者さまが、こいつらと‥?」
「薬草の群生地は彼しか知らねえし。仲間も世話になっている。
 信用しても良いと思うが、まだ不満あるのか?」
「い‥いえ。ですが‥‥」
ごにょごにょと言葉を濁して気不味そうな彼を無視して、鷹耶が話をまとめる。
「てな訳で。ちょっと馬車召還するぜ~」
そう一声かけると、鷹耶はバロンの角笛を取り出した。
クリフトが納得顔で頷いて、周囲の人に下がるよう呼びかける。
角笛の音が響き渡ると、木霊のように遠くから音が数回帰って来て、やがて鷹耶の前方に光が広がり始めた。
スポットライトで照らされたような地面から離れるよう、鷹耶からも周囲の人に呼びかける。
光が一際眩しく輝き、周囲の人間が目を閉じた次の瞬間、ドンと弾けたような音と共に、馬車が出現した。
「「おお~」」
「すごいな、これは‥」
ヴィーノもビックリと目を丸くする。
「クリフト~良かった! 無事だったのね~!!」
馬車が到着すると、すぐに荷台から飛び出したマーニャが、側に立っていたクリフトに飛びついた。
「マーニャさん‥」
「心配したんだからあ‥! あんた達戻って来ないしさ‥」
「その辺の話は後でする。今は急ぎの用件があるんだ。」
クリフトに抱きつくマーニャを排除しつつ、鷹耶がやって来た一行を眺めた。

「成る程。じゃあ早速出掛けましょうよ、時間が惜しいわ‥」
掻い摘んで経緯を説明すると、アリーナが張り切った様子で促した。
「まあ待て、アリーナ。ここは結界に護られた土地だが、ルーラで戻って来るのは難しそうだ。だからな、ブライ、ミネア、マーニャ、トルネコはここに残ってくれ。さっき話した狼族の薬師ユノカの手伝いをしてやって欲しい。」
「了解。それで、あんた達はどう戻って来るつもりなの?」
「馬車なら今日中にそこへ着けると思うんだが‥あ、戻って来たな。ピサロ!」
マーニャに答えていた鷹耶が、こちらへやって来る姿に気付き声をかけた。
「それで、彼女の見立てはどうだって?」
「ああ。今ある薬で対応するには、明日の日暮れまでが精一杯だそうだ。」
「明日の日暮れか‥。分かった。とにかく出発を急ごう。
 マーニャ、これを預けておく。タイムリミット限界まで、俺達が戻らなかった時は、これで馬車を戻してくれ。」
そう言って鷹耶がバロンの角笛を渡した。
「成る程。了解したわ。」
「ブライ、ここの連中大分余裕ないみてーだから、注意してくれな。」
マーニャに角笛を渡した後、老師の肩に手を回して、鷹耶がこっそり耳打ちする。
「あい分かった。妙な事にならんよう気をつけて置こう。」
「ああ頼んだぜ。じゃ、詳しい事は彼らに聞いてくれ。」
遠巻きにこちらを窺っている長らと、階段の側に立つ狼族の者を指して告げると、鷹耶が御者台に向かって歩き出した。
「それじゃ、出発しようぜ。ヴィーノ、案内頼む。残りのメンバーは後ろに乗り込んでくれ。」

慌ただしく出立した一行を、半分呆然と見送った集落の人間だったが。馬車の影が見えなくなると、やっと我に返ったように、新たにやって来た人間を緊張した様子で眺めた。
「ああえっと、私達はさっきの男をリーダーに旅をしている冒険者でして‥」
トルネコが愛想良く説明をと話始めると、長がすっと一歩前に出た。
「勇者さまのお仲間なのですよね。すみません、大変失礼致しました。
 あまりにも色々決めて行かれてしまったので、つい‥」
「いえいえ。一刻も早く薬を届けたいとの思いから、焦っていたのでしょう。
 我らも詳しい事はあなた方から聞くよう言われてしまったので。
 よかったら、詳しい事情教えて頂けますでしょうか?」


「鷹耶、拙者が交代しよう。」
しばらく馬車を走らせると、ライアンが御者席に移動して来た。
彼の申し出を有り難く受けて、ヴィーノに道案内を任せたまま、鷹耶が幌の方へと移る。
「あ、鷹耶。クリフトから聞いたわ。あなた達が合流出来たのって、今朝になってからだったんですって?」
「ああまあな。俺はさっきの集落の人間の所に泊めて貰って、クリフト達は彼らの居住する地下神殿に厄介になってたと。」
クリフトの隣に腰を下ろしながら、鷹耶がアリーナに返答した。
「地下神殿? あの階段の下は神殿になっているの?」
「ええそうですよ、お嬢さん。」
トニアスが丁寧な口調で彼女に答えた。
「えっと‥トニアスさんだっけ? あなた‥狼族じゃないわよね? 耳がふさふさじゃないし‥」
アリーナが興味津々彼と話し始めたのを見て、鷹耶がクリフトへと話かけた。
「無事で本当に良かった‥」
「すみません、ご心配おかけして‥」
「いや。思わずこちらのメンバーに入れちまったが、大丈夫か?」
鷹耶がクリフトを気遣うように彼を見つめる。
「はい‥。ピサロさんが、庇って下さったので。ほとんど怪我もしなかったんですよ‥」
名前を出されたピサロが、幌の後部から中央に座る彼らの方へ視線を寄越した。
「そうか。まあ‥詳しい話はまた後で聞かせて貰うとして。
 今日は基本待機で行くから。休んでていいぞ。」
クリフトがピサロに笑いかけたのを見逃さなかった鷹耶が、ちょっぴり声を低めた後、彼の肩に手を乗せ告げた。
「え‥待機ですか?」
「これだけ色々巻き込まれてたら、消耗したろう? 休める時に身体休めとけ。」
「はい‥」
「ふうん。おっかない噂の勇者さまは、彼に随分優しいんだねえ?」
アリーナと話しながらもちゃっかり隣に聞き耳立てていたトニアスが、ぽつっとこぼす。
「え‥おっかない噂って?」
「ああ、まあ。地底で復活したエスタークを葬ったとか。デスピサロを倒したとか‥ね。勇者に目を付けられたら、命がない‥って。恐ろしく凶暴な者になってたな。」
「あはは‥成る程。あなた達からしたら、そんなイメージになっちゃうんだ。
 まあ凶暴ってのは、あながち外れでもないかもだけど。」
アリーナが軽やかに笑いたてる。そんな会話がしっかり届いていた鷹耶とピサロが不服そうに彼らを眺めた。
「誰が凶暴だって? 大体噂の魔王さまは、そこでピンピンしてるじゃないか。」
「ああ、そうだったね。それを知ったのは、君と合流果たす直前でね。驚きの連続で、小心者な私は未だにメダパニ状態が抜けずに居るよ。」
「いやいや。あんた絶対この状況面白がっているだろう。
 大体なんでそうコロコロ口調変わるんだ?」
怪訝そうにツッコんだ鷹耶に、トニアスが愉快そうに笑んだ。
「ああ。そ奴はそういう奴だから。
 気分で口調変えて来るから、慣れると分かりやすくて良いぞ。」
御者台に座るヴィーノが半ば呆れた様子で説明する。
いつもと違ったメンバーで、馬車は目指す土地へ向かって、更に速度を上げて走って行った。

砂漠を越えてしばらく進むと、緑地から赤茶けた乾いた土が広がる場所へと出た。
「おお‥。陽があるうちにここまで着くとはな。
 薬草があるのは、あの辺りの岩場だ。」
途中幾度か戦闘は生じたものの、砂漠越えでも進む速度の衰えないパトリシアの馬力にヴィーノはひたすら驚き、感嘆した。ずっと御者を努めてくれたライアンとも、随分打ち解けた様子で、道中話を弾ませていたようだ。
そんな彼が、ようやく見知った場所に出たらしく、安堵にも似た声を上げた。
「ふむ‥まだ少し距離はあるようだが。
 あまり薬草などが得られる土地には見えぬな‥」
「乾燥地帯に生息する植物なのだ。問題ない。」
遠くを眺めつつこぼしたライアンに、ヴィーノが返答する。
「そうか。ではもう一息、パトリシア頼んだぞ。」
そう言って、ライアンは再び馬車の速度を上げたのだった。

サボテンの一種らしいその植物は、ヴィーノが案内した場所一帯に確かに分布していた。
目的地に到着し探索した結果、幾らか入手する事が適ったのだが‥
「うう~む。あの子供の分だけならば、これで足りただろうが。
 あと四人分‥となると、もっと纏まった量が必要だな‥」
夕闇が迫る頃合いになっても、収穫あった量は必要量には届かず、一行は野宿する準備を始めた。
「まあ明日明るくなってから、また探せばいいさ。探すコツも少し解って来たしな。」
「そうですね。今日は皆さんお疲れでしょう。夜の間しっかり休息を取って下さい。」
簡易竈で沸かした湯でお茶を入れたクリフトが、銘々に湯気の立つカップを配った。
馬車に積んであった食材で簡単なスープを作り、パンと干し肉の夕食を済ませて、いつものように野営当番を決める。ヴィーノとトニアスも進んでそれに参加してくれたので、その順番もあっさりと決まった。

「クリフト大丈夫か?」
夕食後、しばらく雑談を交わした一行は、最初の見張り当番以外身体を休める為馬車近くに移動し横になった。
今回紅一点となったアリーナは、皆の勧めもあり幌の中で休む事になり、見張り当番からも彼女は外された。
最初の当番は鷹耶とクリフト。火の番をしながら、隣に座る彼に鷹耶が気遣う声で訊ねたのだ。
「ええ。移動中大分楽させて頂きましたからね。心配性ですね、鷹耶は‥」
「‥お前が崖から転落したって聞いた時は、本当に肝を冷やしたんだ。
 無事で‥良かった‥‥」
クスッと微苦笑するクリフトを抱き寄せて、こつんと頭をくっつけた鷹耶が、不安だった胸の内を吐露する。
「私も‥あの時は本当に真っ白になりました。実際落ちる途中で気を失ってたんですが‥。ピサロさんが、僕を庇うように抱えてくれてたようで。落下の衝撃による怪我はほとんどなかったんですよ。寧ろピサロさんが酷い怪我負っていて‥」
クリフトが昨日からの顛末をゆっくり彼へと説明し始めた。
「そうか。本当に奴には世話になったようだな。」
一頻り話を聞いて、鷹耶がう~むと唸った。
「ええそうなんです。色々気遣って下さったみたいで‥。
 思っていた以上に世話好きなんだなあ‥って。」
「誰にでもじゃないとは思うぜ、それ。」
のほほんと微笑むクリフトに、苦々しい表情で鷹耶が嘆息した。
その顔で昨日の事を思い出したクリフトが、一瞬思い当たったような顔を浮かべた。
「あいつ、何かしたのか?」
その一瞬の変化を見逃さない鷹耶が、やっぱりと言いたげに彼へ食らいつく。
「い、いえ。何もされてません。ただ‥似たような台詞を言われただけです。
 それで鷹耶の忠告思い出して、ドジって流砂に飲まれる羽目になったので‥」
「それだけか?」
「ええ。それだけですよ。」
「もうその辺にしとけ。」
きっぱり返したクリフトに続くよう、呆れを滲ませた声が二人に届いた。
「ピサロさん‥。休んだんじゃなかったんですか?」
ゆっくりした動作で側までやって来た彼を、クリフトが意外そうに見つめる。
ピサロはそんな彼の前で膝を折ると、徐に上げた手を彼の額へと宛てがった。
「なっ‥!」
「‥発熱はしてないようだな。」
「え、ええ‥」
ピサロの言葉にクリフトがぼんやり答える。
「熱?」
「あ‥あの。昨晩ちょっと発熱したので。
 ‥それを気にかけて、来て下さったんですか?」
訝しげに眉を寄せた鷹耶にクリフトはそう返すと、ほとんど目線が変わらない位置にあるピサロの顔を伺った。
「お前の事だから、これには伝えないかと思ってな。その報告も兼ねたのだ。
 その様子だとやはり伝えてなかったのだろう?」
「ああ。聞いてなかったな。クリフト、無理させちまったか?」
「あ‥いえ。朝には下がってましたし。大丈夫ですよ?」
「そうか? だけど‥」
「大丈夫ですよ。見張り当番も一番負担の軽い最初にして貰ってますし‥」
心配顔の鷹耶になんでもないと答えていると、今度は頭に手が置かれた。
「今夜はしっかり休んだ方が良いだろう。当番は私が替わってやる。」
「え‥?」

(ええと‥‥)
クリフトはなんだかよく分からないまま、馬車の横に並んで眠る一行の中に混ざる事となった。
ピサロが休んでいた一番端の寝床に横になって、首を傾げさせる。
(ピサロさんが僕の替わりに当番引き受けて下さって。
 鷹耶もすぐに休めと譲らなくて‥ここに居るけど‥)
目を閉じるとすぐに睡魔が襲って来た。
(ピサロさんは僕を心配して? それともやっぱり鷹耶の事を‥‥)
トロトロとそんな思考を巡らせながら、クリフトは眠りに就いたのだった。

「おい。」
焚き火前。むっすり黙り込んでいた鷹耶が、仏頂面で低い声を出した。
「手出してないよな? あいつに。」
ギロッと睨みつけて、鷹耶が短く訊ねた。
「クリフトが随分世話になったみたいだから。その事は感謝してるし、礼も言おう。
 だがな、あいつは絶対渡さないから。」
「礼ねえ‥。殺気しか寄越されてない気がするが?」
不機嫌全開な鷹耶を、ピサロが愉しそうに挑発する。
「そうか? 後ろ暗い所がなければ、動じる事もねーだろ。この程度。」
「クックック‥。本当に飽きぬな、お前達は‥。
 安心しろ。お前が心配するような事は何もないさ、まだ‥な。」
含みを持たせた言い回しに、鷹耶が更に突っかかろうとしたが、寸でで堪え息を吐いた。
「まあ。それだけ大切だって言うのなら、せいぜい隙を作らぬよう努めるのだな。」
「なんか。あんたに言われると、すげームカつくな‥」
鷹耶は苦い顔でそれだけ返し、風に踊る炎へと目を戻した。

「よし。これだけ集まれば、当面は大丈夫だろう。」
翌日。夜明けと共に起き出した一行は、目当ての薬草を必要量よりも余分に多く摘んで馬車へと乗せた。
「そうだな。これも皆が協力してくれたおかげだ。改めて礼を言う。」
ヴィーノが一同に心からの感謝を伝える。
「俺達の役目はこれを無事刻限までに届ける事だからな。
 薬草が揃ったなら、出発しようぜ。」
「そうですな。では拙者が御者を務めましょうか。」
ライアンが名乗りを上げると、ヴィーノも再び案内役をかって出た。
行きと同じ二人組が御者台に乗り込む。他のメンバーは幌へと乗り込んだ。

途中御者を交代しながら、馬車は休む事なく走り続け、一行は陽が傾き始めるよりも前に、遺跡にある集落へと戻る事が出来た。
馬車の中ですぐに薬が使えるよう準備してあったので、集落へ到着してすぐにユノカへ手渡し、患者へ与えられた。
一通り薬が行き渡った頃合いに、暇を申し出るつもりだった鷹耶だったが、色々と引き留められてしまい、その晩は厄介になる事になった。
夕食は集落の者が鷹耶一行と狼族を招く形で振る舞われ、その後鷹耶・ピサロ・クリフト・ライアン・ブライが地下神殿に暮らす狼族の元へ泊めて貰う事となった。

「ふう‥やれやれ。どうにか揉め事もなく納まってくれたようで、良かったよ‥」
案内された二人部屋の近くにあったベッドに腰を下ろして、鷹耶が大きく息を吐いた。
「そうですね。上で臥せっていた皆さんも容態は落ち着いて来ているようですし。薬も間に合いましたし。本当に良かったです。」
クリフトが荷物を下ろし、鷹耶の前に移動しつつ返した。
案内された客室は先日通された部屋よりも装飾に凝っていて、グレードアップされているのが妙に落ち着かない思いでいると、鷹耶がムスっと顔をしかめた。
「俺と二人きりだと、落ち着かないか?」
「え‥いえ。この間よりも上質な部屋に通されたのが、なんというか‥その。
 落ち着かないな‥と。」
「そうなのか?」
「はあ。まあ、最初に泊めて頂いた時は、彼らからしたら、信頼して良いか判断迷う存在だったでしょうし。ピサロさんの事も、ご存じでなかった訳ですし‥」
「ああ。そうだってな。
 あいつ魔王名乗ってた割に、そこまで有名な訳でもなかったんだな。」
鷹耶が思い出したようにクスリと笑った。
「そうですね。私もビックリしました。」
「あいつと二人っきりの部屋で、本当に何もなかったんだよな?」
柔らかく微笑むクリフトに、訝しむよう鷹耶が睨んだ。
それと同時にグッと腕を引き寄せられて、クリフトが彼の隣に腰を落とす。
「ある訳ないでしょう‥ぅ、ん‥‥っは‥ち、ちょっと‥ま‥んんっ‥‥」
そのまま顎を取られたと思うと、口接けが降りてきた。貪るような行為に身動ぎながら待ったをかけるが‥
「待てない‥」
それを押さえ込むように、更に深い口接けを仕掛けて来た。
「はあ‥はあ。鷹耶‥っ、ダメですってば‥」
そのままシーツに身体を縫い止められてしまったクリフトが、更にダメ出しを続けた。
「何だよう?」
「さっきヴィーノさんが勧めてくれたでしょう?
 続きはお風呂頂いてからにして下さい。
 じゃないと、その‥落ち着いて出来ませんから…」
崖から転落してから、砂まみれになったり、馬車で砂漠越えして野宿したりの後だったので。こざっぱりしたいとクリフトが主張する。
「風呂の後はたっぷり付き合ってくれるんだな?」
「加減はして欲しいですけど。欲しいのはあなたばかりじゃないんですよ…」
たっぷり‥の所は同意すると確実に明日に響いてしまいそうで危険だが。求める気持ちは一緒だと、クリフトが羞恥むように告げた。
色々もやもやしていたけれど。
離れている間感じていた寂しさを、昨日思わぬ再会を果たした時に酷く実感した。
だから、心のままに接してみようとクリフトが素直に甘えて見せる。
そんな彼に鷹耶も少し照れた様子で笑って、そっと彼の前髪を掻き上げる仕草の後、唇を耳に寄せ囁いた。
「悪い‥加減は無理かも。今ので余裕なくなったわ‥」
「えっ‥?」
困惑顔を浮かべるクリフトの腕を引いて、鷹耶がずんずん戸口を目指す。
「さあ。一風呂浴びたら、ガッツリ行くぞ~!」
「ち‥ちょっと。鷹耶さ‥、そこまで張り切らなくても。
 ってか、誰かに見られたら、ちょっと。ねえ‥」
ブライやライアンに聞かれたら大変だと、慌てるクリフトの声は届かず。
ご機嫌な鷹耶に引っ張られるように、二人は教えられた湯殿向かって早歩きするのだった。

あれこれと悩む間もなく鷹耶に振り回されてしまう日常が戻って来ている事に、嬉しいような、残念なような気持ちで、自分の腕を掴んだままの彼を見やる。
クリフトは微苦笑浮かべながらも、弾む心を感じていた。



2019/4/4



あとがき
すっかりご無沙汰してました。月の虹です。
2015/8/14発行の『想いのなまえ5』ようやくサイトへUP出来ました。
サイトの仕様を色々変更したいなあ‥と悩んでたら、随分更新が滞ってしまいました。
あの別れ話の後の2人の様子は、まあこんな感じで。
今回はクリフトと魔王さんが新密度あげていましたw
地図にない土地の物語は描いてて結構楽しかったですが‥
楽しんで頂けたら幸いです。