ソロは突然訪れた竜の神と共に寝室へと戻った。

「…話って、なんですか?」

寝台に腰掛けて、早速彼が不愉快そうに訊ねる。

「ふ‥そう突っ掛かってくれるな。…お前は、天界がお前を捨てたように捉えているよう

 なのでな。丁度良い機会でもあるし、真実を伝えに来たのだ。」

「真実…?」

「ああ。ソロ、お前が地上の隠れ里で密かに育てられるようになったのは…お前が宿命星

 の元に生まれた[勇者]であった為であるが‥それが何故であるか、知らぬまい?」

こくん‥とソロが頷く。

「地上の祝福を身に宿し生まれた天と地の子…それが天空の勇者と呼ばれる時代の申し子

 なのだ。地上で育てられたのは、そう強く乞われたからだが、お前が旅を辞めるつもり

 で居るなら、戻ってくれば良い。天界はいつでもお前を歓迎する。」

「…翼が生えたから?」

「そうではない。だが‥それは重荷なのだろう? ここで暮らすには‥」

「…そうだけど。でも‥‥オレ、天界‥好きじゃない‥から。」

「住みにくさは変わらぬ‥か?」

こくん…小さく頷くソロに、竜の神が苦笑する。

「…結論は急がずともよい。もう1つ、ここへ訪ねた用件へ移ろう。

 ソロ、その被っているものを取りなさい。」

「え…」

「翼の状態を確認しに参ったのだ。…酷く不安定になってる様子なのでな。」

ソロはしばらく考え込むよう竜の神を覗っていたが、嘆息した後言われるまま布団を外し

た。竜の神が寝台に並んで腰掛けてくる。

肩を掴まれ、神に背を向けるように動かされると、びくん‥と躰が悸えた。

白い翼がふるふる揺らぎ、神の目に晒される。

「…酷く痛むのはどの辺りなのだ?」

翼の周辺に手を翳しつつ、神が訊ねた。

「‥よく、わかんない‥けど。多分…根元‥」

「ふむ…。」

「ルーシアが‥。彼女が、天空人の翼は生まれた時からあるって…。

 オレには‥なかったのに‥どうして?」

ぽつん‥とソロが問いかけた。

「…予兆は感じて居ったのだろう? ‥まあ、実際混血の場合、翼の発現は5分‥らしい

 が。お前の場合、更に稀な特徴を有してるのかも知れぬな。」

「どういうコト‥?」

「私も記録でしか知らぬが、己の意志で翼を光に溶け込ませてしまう者が過去にあったら

 しい。つまり…視認を困難とする術だな。」

「それって…見えなく出来るってコト!?」

「そうだ。この燐光とも呼べる白銀の輝き…これは恐らく、その為に有るのだろう。」

「本当に‥? でも‥どうやって?」

「それは‥ソロ、お前自身が知っているはずだ。

 今、お前に必要なのは、それを受け入れる事。さすれば、自ずと会得しよう。」

振り返り訊ねたソロに、すっと目を細めさせた神が柔らかく諭した。

「その痛みの方は、もう2〜3日も経てば引こう。だが‥その術を身につける事が出来る

 か否かは、結局お前自身の心次第なのだ。」

「…受け入れろ‥って?」

「そうだ。」

「でも‥‥‥」

「‥様々な困難をどうしても忌避したければ、我が元へ来れば穏やかに暮らせるが‥

 ここへ残りたい理由が、あるのだろう‥? ならば…今の自分を受け止めなさい。

 もう、閉じ込まらずとも良いだろう? ソロ‥お前は独りではないのだから。」

「でも…オレはもう‥‥」

声を掠れさせて、ぽろぽろとソロは涙を落とした。

「…独りに‥なるんだ‥もん‥‥‥」

「ソロ…。お前を何より不安にさせているのは、件の魔物の方だったのか。

 言葉だけでは納得行かぬか‥。…もうよい。そう泣くな。」

竜の神が小さく吐息をつくと、魔力を手のひらに集め、ソロの額に当てた。

「ここを去る決意をした時は、私を呼ぶがいい。お前は天の子でもあるのだからな。

 歓んで迎えに来よう。忘れるな‥帰る場はここだけではないという事を…」

ゆっくり傾いでゆく彼に、神が言い聞かせるよう囁いて、ソロを寝台へと横たわらせた。

眦に残る滴を拭ってやると、静かに眠るソロを見つめながら、もう1つ吐息を落とす。

直接会うのは2度目。だが…

下界の様子を見る度出会っていた笑顔は、あまりにも遠かった。



寝室を出ると、その壁にもたれ掛かるよう立つ魔王と、戸口に佇み待っていた神官の姿が

神を迎えた。

「‥あれは天へは帰さぬぞ?」

魔王が苦々しく口を開く。

「決めるのはソロだ。‥まあよい。それより2人にも話がある。かけなさい。」

神は一瞬顰めた眉を戻し、少々重く告げた。

上段からの物言いに、幾分引っ掛かった魔王だったが、ソロについて得られるのなら‥と、

不承不承従う。クリフトも彼と並んでソファへ腰掛けると、向かいの一人掛けソファへと

残る竜の神が席についた。

「中での話は大方そこの魔王が聞いて居ったのだろう? 躰の痛みについては、もう2〜

 3日も経れば落ち着こう。問題は、消耗した体力の回復と心‥だが…」

竜の神が盛大に溜め息を吐いた。徐に懐から瓶を取り出しテーブルへと置く。

「これは天界の者が体力の回復によく用いる蜜でな。食事の代わりに与えるが良い。」

「‥あの、マスタードラゴン。ソロの食が落ちているのは‥やはり体力の消耗が原因なの

 でしょうか?」

「‥それも有る。‥まあ、その辺りはあれが回復すれば判ろう。一番厄介なのは‥心の方

 だ。回復が鈍い要因も、どうやらそちらにあるようでな。だが‥こればかりは私にはど

 うにも出来ぬ。あれは‥未だ件の出来事を引きずっているようだ。」

重く吐息を落とす神に、神官、魔王が続いた。

「…まあ。そう簡単に払拭はされないと思ってましたけど。

 感情が追いつかないのでしょうね、いろいろと…」

一旦[孤独]に入り込むと、中々抜け出せない彼を知るクリフトが、しみじみと呟く。

表面上静かなのは、それだけ体力が落ちている為で、その内奥に抱えるものは、未だ彼を

苛んでいるのだろう。

「ともかく。

 お前達の手に余るようなら、落ち着くまで預かりに参るので止めおきたまえ。」

そう結び、神が話は済んだとばかりに席を立った。

「‥天空の神は地上に介入しないと聞き及んでたが。やけに干渉するのだな?」

「あれは天の子でもあるからな。彼個人への介入は問題あるまい?」

「ふん‥。今更‥とも思えるがな。」

「あれは十分役目を果たした。残る災いはそなた達でも払えよう。」

「マスタードラゴン、それは…」

「‥今のままでは戦列への復帰も難しかろう。そういう事だ。」

クリフトも感じていた危惧をあっさり言葉にされ、彼は難しい顔で俯いた。

「では‥邪魔したな。」

そう告げた竜の神が光に包まれる。神はそのまま光に姿を変え、空へと帰って行った。



来訪者が去ると、どちらからともなく吐息がもれる。

クリフトはどっと力が抜けたように、ソファへと腰掛けた。

「‥まさか竜の神直々に来られるとはね。」

ソロに過保護である事は知っていたが。

地上にまで降りて来るとは考えずに居たクリフトが、深い嘆息を交え呟く。

「全くな。ソロの件がなければ直ぐさまほおり出してやったものを‥」

不愉快そうに言い捨てて、ピサロは寝室へと向かった。



「‥‥‥」

静かに眠るソロの様子を窺って、ひっそり嘆息する。



『…独りに‥なるんだ‥もん‥‥‥』



神との話の後半、涙交じりに落とされた言葉がふと過る。

幾度想いを告げても、ソロの思考はそれに囚われてしまう。

魔王は小さく吐息を落とすと、踵を返しリビングへと戻った。



寝室へ続く扉を開けたまま、リビングへ戻ったピサロはソファへと腰を下ろした。

「ソロの様子はいかがでした?」

彼が戻るのを待ち兼ねて居たように、クリフトが早速訊ねた。

「‥落ち着いて眠っているようだ。」

「そうですか‥。竜の神は‥ソロにどんな話をなさっていたのです?」

「‥勇者についていろいろと語ってた。地上が辛ければ天界へ戻れ‥ともな。

 それと‥翼を見定めてもいた。…昔、視認を困難とする術を使える者があったそうだが。

 ソロにそれが備わってる可能性があるともな。」

「それが本当だったら、ソロには朗報ですけれど…」

「‥まだ解らん。その為には、まずはあの姿を受け止める必要もあるからな。」

「あの様子だと‥それも難しそうですね。」

ふう‥と重く嘆息する。考え込むクリフトに、ピサロが続けた。

「問題はまだある。神との話の最中、あれはまた、独りになるのだ‥と泣いていた。」

「…例の件、引きずっていると竜の神が仰ったのは、それですか。

 どうしても、そこへ戻ってしまうんですよねえ、ソロは‥‥」

う〜ん‥と腕を組みながら、クリフトが唸る。

「‥ソロの体力が回復するまでは…と思ってましたが。

 竜の神の仰り様だと、回復を妨げている要因もそちらにあるようですし…

 ピサロさん、出来るだけ彼に負担かけずに、ゆっくり優しく‥愛してみます?」

「…ソロは衰弱してるのだぞ?」

あっさり提案する彼に、珍しく狼狽を滲ませ、ピサロが返した。

「おや‥。散々ソロに無体強いて来られた方とは思えませんね?」

にこやかに鋭い切り返しを食らい、益々ピサロの渋面が深まる。

「あなたが無理なら、私がそうしても良いのですけど…。

 そうすると、またしばらく続いてしまいますよ? 混線状態が。よろしいのですか?」

「‥貴様はどうなのだ? 貴様の言い様は、身を引こうとしてるよう聞こえるのだが?」

「あなたがソロを真剣に想っていらっしゃるのは解りましたし。あなたなら、丈夫で長生

 きしてくれそうですしね。ソロを独りにはしないでしょう?」

「貴様も十分長生きしそうだがな。」

「‥それでも、人間の一生は短いですからね。弱々しいものですよ。」

苦く言うピサロにクス‥と笑い、クリフトが答えた。

「弱々しい生き物が、魔王や神と取引するのか?」

「それとこれは別ですから。…で、どうなさいます?」

にっこり笑うと、クリフトは話を戻した。

「…今のソロにそれが必要だと、貴様は思うのだな?」

「そういう事です。肌で伝わる想い‥というのは、存外侮れませんよ?」



話が終わると食事の準備に下へ降りて行ったクリフトを見届けて、ピサロはソロの眠る

寝室へと向かった。

すうすうと規則正しい寝息を立てて眠るソロに近づき、そっと額に触れる。

まだ下がりきってはいないようだが、負担が目に見える程でもない熱。

ピサロはひっそり吐息を落とすと、傍らの椅子へ腰を下ろした。

眠る彼を見守りながら、目覚めてからのこの3日間、ソロの様子を思い起こす。

すべてを拒むよう逃げ回るソロ。

昏い眸で死を望んだソロ。

翼を受け入れられず、惑い・哀しみの中にあるソロ――



――ああ、そうか…



ピサロは唐突に思い至った。

目覚めてからのソロは、ずっと緊張の中にあるのだ‥と。

感情が緩んで見えている間も、張り詰めたモノは絶えず解けずにあるのだ。

そう…最初の頃の訪いの中見せていたソレと似たものが、ずっと…



――けれど。



『愛して』やれば‥本当に解けるのだろうか? 反って傷を深めはしないのか?

癒えぬ躰に無理を強いて…



「…ピ‥サロ?」

ぼんやりと目を覚ましたソロが、難しい顔の彼に遠慮がちに声をかけた。

「目が覚めたか、ソロ。」

「…オレ? ‥えっと、竜の神が来てたと思ったけど‥? あれ…?」

「‥ああ参ったぞ。とっくに帰ったがな。」

「そうなんだ。…夢じゃなかったのか。」

枕に頭を預けたまま、伏せ目がちにソロが呟く。

「気分はどうだ?」

「…平気。‥竜の神がね、痛みも2〜3日すれば引くってさ。…だから、大丈夫だよ。」

「そうか‥。」

すっとソロの頭に手が伸ばされると、びくっと彼が身を悸わせた。

一瞬手の止まったピサロだが、労るよう静かに、翠の髪を撫ぜる。

ソロはそれを黙って受けていたが、そのうちはらはらと涙を落とし始めた。

「ソロ‥?」

「…竜の神が、天界へ戻っていい‥って。…そうした方がいいのかな‥オレ‥‥‥」

優しい手の感触に、いたたまれなくなったソロが、惑いを口に上らせた。

「何を言うのだ、お前は!?」

「だって…オレ‥このままじゃ、戦えない。…旅の足手まといなだけだもん‥」

「それで? お前は旅を投げるのか?」

怒気を孕ませた低い声音で、ピサロが寝台に横たわるソロを縫い止めるよう、両手を彼の

頭の脇に置いた。

「お前を信じ、慕う仲間をほおり出し‥地上を忘れ、天へ帰ると?」

触れ合いそうな程間近に迫った顔が、厳しく問い糾す。

「‥って。だって‥‥‥知られたく、ない‥もん。こんな姿のオレなんて…。」

「お前の仲間は、それくらいで動揺示す程繊細ではなかろうが。踊り子の娘など、幾度

 申しても、この私を『ぴーちゃん』呼ばわりするぞ? 魔王であった私をな。」

呆れを滲ませ、ピサロが諭すと、泣き笑いのような複雑な表情を、ソロは浮かべた。

「お前を信じついてきた仲間だろう? お前は奴らを信じぬのか‥?」

「‥‥‥怖い‥んだもん。…全部‥壊れちゃいそうで‥‥‥。ピサロには解んないよ…」

「ああ…解らぬな。」

瞳を反らし呟くソロに、嘆息した魔王が低くこぼした。

彼は寝台についていた手を伸ばし、上体を起こすと、不意にソロの腰に腕を回し、その躰

を引き上げた。そのままソロを己の膝の上に座らせる体勢へ持ってゆく。

「や‥っ、ピサロ、何するんだよ!?」

布団から引っ張り出されてしまったソロが、腕を突っ張り彼から逃れようと足掻く。

「現実をしっかり見つめろ。…その翼が仲間にどう映るのかを。」

ピサロがくいっと顎でソロの背後を示した。ソロが怖々振り返る。

「…クリフト。‥あ。やだ…っ。見ないで‥? ピサロっ、離して! ピサロ!」

無防備な背を見つめられていると知ったソロが、途端乱れたよう身動いだ。

困ったように小さく吐息を落としたクリフトが、ゆっくりと寝台へやって来る。

「…ソロ。あなたはこの翼が恐ろしいものに映るのかも知れませんが‥。

 実際‥本当にきれいなんですよ? ‥天使のような翼はとても可愛いらしいですしね。

 魅力が増して見えても、マイナスには働きませんよ? きっと他の皆さんにもね。」

嫌々と首を振るソロの頭に、クリフトがそっと手を置き、優しく語りかけた。

「嘘だもん。こんなの、人間にはないもん。変だもん‥!」

「でも…ソロでしょう? 翼があろうとなかろうと、皆ソロが好きなんですよ?

 …とゆーか。今のあなたの姿見たら、沸き立ちますよ、絶対。」

後半ちょっと困ったような口調に変えて、クリフトが明るく肩を竦めて見せた。

「…どうして?」

クエスチョンマークを頭に浮かべ、ソロが不思議そうに訊ねる。

「ふふ‥。言ったでしょう? とても可愛いと。ねえ、ピサロさん?」

「ああ。その姿を奇異と思っているのは、お前だけだ。欲深い人間に、下手に晒す必要は

 ないが、それ程頑なに隠す事もなかろう。その姿もまた、愛らしいぞ?」

こつんと額を合わせて来たピサロが柔らかく話しかけられて。ソロはかあっと頬を染めた。

「‥嫌じゃ、ない‥? 翼があっても‥‥?」

「嫌だなんて‥。可愛いいですよ、本当に。」

俯いたソロに、ちらっと視線を送られて、クリフトが微笑んだ。

そっと上げた手を、縮こまった彼の白い翼へと運ぶ。

痛まないよう慎重に、クリフトはその翼に触れた。

「‥あ、痛みますか?」

「ううん。大丈夫‥。」

びくん‥一瞬怯んだソロが安堵の息を漏らす。

労るよう触れてくる感触は、不思議に暖かだった。




2006/5/27