その3


「あのな‥。好きだったモノが根こそぎ奪われて…哀しみに染まってしまったら、どう

  なると思う? …絶望するんだよ。何も‥感じなくなるんだ。食う事も‥眠る事も欲し

  なくなるんだ。…憎しみは生きる理由をくれるが、苦しみばかりが深まる。けどな‥

喜びを見出す術を失ってるから、苦しみから逃れる事は出来ない。真っ暗だぜ‥?」

自嘲気味に笑んで見せると、小さな吐息を交ぜ続ける。

「…心が冷えきって余裕ないのに、それすら気付けないんだ。」

「鷹耶さん‥それは…。」

「…ああ。俺の話だよ。…旅を始めた頃のな‥。ブランカからエンドールへ向かう途中

  だったな。キャラバンの連中と一晩過ごした事があったんだ。そこで逢ったお節介な

  奴がさ、いろいろと訊いてきて‥。俺もぽつぽつ答えてたんだ。…その時にな、「煮

  詰まった気持ちを持て余してるなら、体で解消するのも一つの方法ですよ?」ってな。

上品な顔からは予測出来ない台詞言い出してさ…。」

「…それで。そうした‥んですか?」

「‥うん。結論から言えばな。ちょっと反則技使われた気もするけど、でも‥人肌の温

  もりは心地よくて。発散した熱のおかげか、翌日は随分と穏やかに目覚める事が出来

  たよ。…ほんの一時かも知れないけど、真っ白になれて‥救われたな‥って。」

当時を振り返りながら話す鷹耶が、そこでようやく静かな笑みを浮かべた。

トントン‥。部屋の扉を軽くノックする音が届いた。

鷹耶とクリフトは顔を見合わせると、鷹耶がスタスタと戸口へと向かった。

かちゃり…静かに扉を開く。

「お待たせ。スープとナン持って来たわよ。」

 暖かそうな湯気が上るスープとナンの皿を乗せた盆を持つマーニャは、そう言うと盆を

鷹耶へと手渡した。

「ああ…サンキュ。」

「食欲出て来たら、後はあんたが取りにいらっしゃいね。」

「ああ解った。」 

短いやり取りを交わすと、彼女はヒラヒラ手を振って戻って行った。

 ほんの少しだけ見送った後、鷹耶は静かに扉を閉ざし、ベッドの隣にある机まで託され

た盆を運んだ。

「飯‥だってさ。…どうだ? 少しは食えそうか?」

「あ…はい。」

「そっちへ持って行くか?」

「あ‥いえ。私が行きます。」



クリフトが夕食用にと煮込んでいたモノを、一手間加えてスープ仕立てにしたらしいそ

れは、香味野菜のすうっとした匂いが食欲をそそり、ほかほかのナンも柔らかそうにふっ

くらと膨らんでいた。

椅子へ腰掛け、戴きます‥と手を軽く合わせたクリフトは、マーニャの心遣いに感謝し

ながら食事を始めた。

「…あの。その時の女性の事…憶い出したりしますか‥?」

二〜三口スープを運んだクリフトが、ふと思いついたように訊ねた。

「…ん? あ〜それな。…女‥じゃねーよ。」

「え‥そうなんですか?」

 意外そうに驚くクリフト。鷹耶は苦笑した後、ベッド端に腰を降ろした。

「…まあな。‥ちゃんと聴きたいか?」

「‥差し支えなければ。」

なんとなく、沈黙を避けたかったクリフトが、彼に話を促した。

「…ブランカを出て三日程過ぎた頃‥だったかな。陽が暮れてそろそろ休む場所を探そ

  うかと辺りを見回してたんだが‥少し先の丘の向こうから、楽器の音が聴こえた気が

  してな、その音の方へと向かったんだ…」

 鷹耶はその頃を思い出しながら語り始めた。





 丘を登ると、なだらかな斜面を下った先に幌馬車が二台縦に並んで止まっていた。

 その横で焚かれた火を囲むように、まばらに人が座わっている。軽やかな笛の音に合わ

せて踊る人影がその向こうに見えた。賑やかなざわめきも聴こえる。

 「あれは…」

鷹耶はその光景に引き寄せられるように、静かに近づいて行った。

「誰だっ!?」

 物音を立てたつもりはなかったが、明かりがもう少しで届く‥といった所まで近づいた

時、炎を囲む人の輪より少し後方から踊りを見ていた男が、スッと立ち上がり、槍を構え

た。

鷹耶もその反応に対応する様に、一瞬身構えたが、相手が魔物でない事を確認すると、

その構えを解いた。男の声に場が静まり、その場にいた一同の視線が鷹耶に集まる。

「‥悪いな。こんな場所で賑やかにしてるから、つい‥な。

  邪魔する気はなかったんだ…。」

そう答えると、そのまま場を離れようと踵を返した。

「あ‥待てよ。あんた‥冒険者だろ? たいしたもてなしは出来ないが、寄って行けよ。

どうせ今夜は野宿だろ?」

「…ああ。」



「あたしはこの一座の座長を務めているロマナって者だよ。

  ブランカへ興行に向かう途中でね。あんたは?」

 貫禄あるやや年配の女性は、どっしりした外見そのままの気性らしく、大らかな表情で

鷹耶を歓迎すると、にこやかに話しかけて来た。

 「…鷹耶だ。エンドールに向かっている‥。」

「そうかい。あそこはでかい街があるからね。トンネルが開通してから、ブランカとの

  行き来もグンと楽になったしねえ。ああそうそう。食事‥まだだろう?

  案内させよう。ジル、彼に食事を。」

 「は〜い。」

鷹耶を物珍しそうに窺っていた少女は、ロマナに呼ばれると弾かれたようにやって来た。

 「じゃ‥ゆっくりして行っておくれ。」

 そう言うと、彼女は幌へと向かって行った。

「食事‥案内するわ。来て。」

ジルと呼ばれた少女は、鷹耶の手を引っ張り促した。

「あ‥俺は‥‥‥」

 「お腹空いてるでしょう? 冒険は体力勝負ですもんね! 遠慮なく食べてね。」

 焚き火の近くに出来上がったばかりらしい料理が様々置かれていた。ジルは取り皿兼用

のスープ皿とスプーンを手渡すと、バイキング形式の食事について説明した。

食欲などないから…と断ろうと思っていた鷹耶だったが、暖かいスープの香りにふと、

きこりの言葉を思い出した。小さく吐息を落とすと、のろのろとスープを軽くよそう。

「…ありがとう。じゃ、これ戴くよ。」

 それだけ言うと、人の輪から離れた場所にある大岩へと歩いて行った。

追って行こうかと数歩足が動いたジルだったが、他人を寄せ付けない雰囲気を察し、そ

の足も止まってしまった。

「…あの人‥。」

 「どうかしたんですか、ジル?」

「あ‥ルーエル。それがね‥」



 鷹耶が魔物でないと判った時点で、再び戻って来た陽気な賑やかさは、正直今の彼には

煩わしさしか感じられなかったのだが、少し距離を置いて眺めていると、今はもうない村

を少し思い出させていた。

 「スープ、お口に合いませんか?」

 ぼんやりと焚き火を見つめる彼に、やんわりとした声が届いた。

 金色の長い髪を後ろで一つにまとめた青年は、鷹耶の隣まで来ると更に続けた。

 「…先程から手が止まったままなので‥。」

 「…ああ。…あまり‥腹が減ってないだけだ。」

 「ああそうでしたか。スープだけでは足りないだろうと、ジルに頼まれてパンを持って

  来たのですが‥余計でしたかね。食事済まされてたんですね?」

 「‥それは…まだだけど‥。」

 「あまり食欲がない‥とか?」

 「…。まあ‥そんな所だ。」

 「でしたら…こうしましょう。」

青年は持っていたパンを半分に割ると、その片方を鷹耶に差し出した。

 「…? なんだ?」

 「いくらなんでもそれだけでは足りません。せめてこれくらいは、クリアしましょう。

  冒険者‥なのでしょう?」

言い方は優しげだが、どこか否を言わせぬ風情を漂わせ、青年がにっこり笑った。

鷹耶は無言でそれを受け取ると、もぐもぐ口に含み、スープで流し込んだ。

 「…これでいいんだろ?」

スープが足りず、少し喉を詰まらせながらも突っ慳貪に言いきった。

「その勢いなら、この残り半分もいけそうですね。」

 「な…。」

 「はい、これもどうぞ。」

青年はそう言うと、にっこり残りのパンと持っていたカップを差し出した。

 並々注がれたオレンジジュースは、最初から彼へと持って来たのだろう。鷹耶は呆れた

様に様子を窺っていたが、結局不承不承、それを受け取った。

 先程同様、パンを流し込むように平らげる鷹耶。

 「‥さ。これで満足だろ?」

 「そうですね。」

追い払うような口調をちっとも気にかけない様子で、青年が微笑んだ。

 「そうそう。申し遅れました。私はルーエルと申します。あなたは‥えっと…」

 「…鷹耶だ。」

 「ああそうそう。鷹耶‥さんでしたね。エンドールへ向かってらっしゃるとか‥?」

 「…ああ、まあな。」

大岩に寄りかかり、くつろいだ様子の彼に、苦い顔を見せながら鷹耶は答えた。

「旅の仲間を求めて…といった所ですか?」

 「…そうだな。」

 「私達は歌と踊りでいろんな国を訪ねてますが、今は旅が難しくなりましたからね。」

 「ルーエル。お客様を一人じめしてないで、紹介して?」

 やけに露出の激しいスタイルの服を纏った女性が、ワンピース姿の少女を伴って声をか

けて来た。

 「ああそうだね。鷹耶さん、こちらが我が一座が誇る踊りの名手アイシャ。

  そして彼女が歌姫セアラです。」

 「よろしくね、鷹耶。」

 「…こんばんは。鷹耶さん…。」

 


「…なんかさ。旅芸人一座とかなせいか、二人ともタイプ違うけど、美人だったぜ? ま

  ともにしゃべったのは、その二人だけだったけどさ。他の女の子達も粒揃いだったな

  …。俺があんまり愛想なかったせいか、彼女らはしばらくしゃべるとルーエルに演奏

をねだってな、聴かせてくれたんだ‥‥‥」

食事を終えた様子のクリフトを促しながら、鷹耶は話し続けた。

 クリフトはベッドに戻ると、枕をクッションにベッドヘッドに寄りかかった。

 様子を見守っていた鷹耶は、それを見届けると話を続けた。

「…竪琴‥っていうのかな。すごくきれいで透明な音色をさせてさ‥なんだか…」





少し切ないその音色は、透明な泉に浸っているような、不思議な心地を彼に与えた。

 傍らで聴くアイシャとセアラも、うっとりと彼の奏でるメロディに耳を傾けている。

 いつのまにか、ざわめきも静まっていた。

 「はあ‥。やっぱりルーエルの竪琴は最高ね。一日の締めくくりはこれでなくちゃね。」

アイシャがうっとりと言うと、立ち上がった。

 「そうね。ありがとうルーエル。それじゃ鷹耶さん、おやすみなさい。」

セアラも立ち上がると、二人に声をかけた。

「おやすみなさい、二人とも。」

 二人を笑顔で送った後、ルーエルが鷹耶へと向き直り、更に言葉を続ける。

 「鷹耶さんもそろそろ休まれますか?」

 「…あ。いや‥俺は‥‥‥」

苦しそうに俯いてしまう鷹耶。

 「…では。いい物持って来ましょう。」



 しばらくして。戻った彼が持って来たのは、酒のボトルとカップが二つ。それと毛布が

二枚だった。

 「…なんだ、それ?」

 「寝袋とか持っていらっしゃらないようでしたので。はい、一つお貸ししますよ。そろ

  そろ空気も冷え込んで来たようですしね。」

訝しげに言う鷹耶に、微笑んだルーエルが毛布を一枚手渡した。

 彼は大岩に寄りかかるように座る鷹耶の隣に座り込むと、持って来たカップにボトルの

中身を注ぎ入れた。

 「はい、どうぞ。」

 「それ…酒?」

 「はい。眠れない夜にはやはりこれでしょう?」

 「何故?」

 「んー。嫌な事を忘れさせてくれるとか…?」

 「…忘れる? 忘れさせてくれる‥か…。」

鷹耶は注がれた琥珀色の液体を不思議そうに見つめていたが、ぐいっと口に含んだ。

 冷たい飲み物は、口内から喉の奥へと流し込むと、一気に熱を帯び流れ落ちて行く。

 「う‥コホ‥。…なんだこれ?」

むせるように苦い顔をさせた鷹耶が訊ねた。

 「ブランデーです。‥もしかして、お酒初めてですか?」

 「初めてじゃねーけど。こんなキツイのは‥初めてだ。」

 「そうですか? ‥薄めた方がいいですか?」

美味しそうにコクコクと飲みながら、ルーエルが訊いた。

「…別に。このままでいいさ。」

飲めないというのが悔しく思えた鷹耶は、そう答えると自分もまた、口に含んだ。



「…一人旅だと、夜にのんびりと身体を休める事が出来ないでしょう? 今夜は我々の

  仲間がちゃんと交替で見張りをしてますから、鷹耶さんはゆっくり休んで下さいね。」

 「…別に。‥‥眠りたくなんか‥ねーから…。」

ルーエルの言葉に顔を曇らせた鷹耶がぽつりと答えた。

 「…それは困りましたね。食べる事も‥眠る事も疎ましくなる程、忘れたい事‥ですか。

  酒で紛らせない程に重い…。だから‥ずっと苦しげなんですね、あなたは。」

彼は鷹耶の頬に触れると、そのまま正面から覗き込むように、顔を横向かせた。

 「そこまで苦しく煮詰まった気持ちを持て余してるなら‥体で解消して見ますか?」

 「え…?」

 「…忘れたいんでしょう? …ほんの一時でも。全てを‥。

  持て余した気持ちは、体で解消するのも一つの方法だと思いますよ?」

まるで子供を慰めるような口調で、ルーエルは提案した。

「相手になってくれそうな子が何人か居ましたから、声をかけて来ましょうか?」

 「…それって。‥女‥って事か?」

 「ええ。」

 「…いや。俺は…女はもう‥‥‥」

シンシアを憶い出した鷹耶は、苦く微笑うように零した。

 「…女の人でなかったら…?」

ルーエルは、空になってた鷹耶のカップに酒を注ぎながら訊ねて来た。

 「え…?」

言葉の意味を計り兼ねた鷹耶が、不思議そうに彼を見つめる。

 「…私では‥いかがですか?」

「え…お前と‥?」

ますます混乱を深めたように言う鷹耶に、小さく笑んで返した彼は、そのまま立ち上がっ

た。

「くす‥。すぐ戻って来ますから、それまでに考えておいて下さいね?」



 残された鷹耶は、幌へと向かうルーエルを、ぽかんと見送っていた。

 (…あいつって‥。男…だよな‥‥‥? えっと…あれ‥‥‥?)

…何の話をしていたんだ? …と、混乱する鷹耶。乾きを覚えた喉を潤そうと、手にして

いたカップを口元に運んだ。アルコール度数の高い酒は、相変わらず喉を熱く流れていく。

 慣れない酒は、ほんの少しだけ、苦みを増していた気がした。



 ややあって。言葉通り彼は戻って来た。

「鷹耶さん。お待たせしました。…考えてくれました?」

 「俺‥酔いが回ったのかな? お前が‥女の代わりするって聞こえたんだけど?」

赤い顔で訊ねる鷹耶に、彼は明るく笑んで返す。

 「そうですよ?」

彼はそのまま鷹耶の前に跪くと、両手で彼の顔をふわりと包み込んだ。

「凍えきった身体は、人肌で温め合うのが一番ですから…」

 「…ん。んん…! …な。…なにしやがる‥?」

徐に重ねて来た唇が離れると、頬を紅潮させた鷹耶が顔を顰めた。

「抱いて下さい…と誘ってるんですよ。」

整ったきれいな顔が間近で微笑む。肩にかかっていた金色の髪が、さらりと前に滑った。

 月明かりを受けた髪は、銀色に輝いてるようにも見えた。

「‥‥‥‥」

ふと鷹耶に、村で会った旅人の事が過る。

 (…あいつも‥たまたま村に居たばかりに、巻込んじまったんだろうな‥。

  何の関係もなかったのに…。俺が‥皆を‥‥‥)

 「…忘れさせてくれるか‥?」

鷹耶が甘えるように、項垂れた。

「‥ええ。鷹耶…」




        

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