「ソロ、また見てるのね。」

ぽつんとこぼされたアリーナの声が、クリフトの背中に届いた。

野営準備をしていた彼が振り返り、その姿を確認する。

馬車から少し離れた場所で、独り立つソロが口を堅く結び、静かに天を仰いでいた。



――ああ、本当に。まただ。



クリフトがひっそり嘆息する。

その様子に気づいたアリーナが、彼の元へとことこ歩み寄った。

「クリフト。あなた何か知ってる? ソロが空ばかり気にしてる理由。」

「‥いえ。ソロ自身にも理由は解らない様子でして。

 ただ…。やはりあの塔と関係があるのではないかと‥。」

ずっと東に見える天まで聳えていそうな塔へ目を移しながら、クリフトは答えた。



気流の乱れで乗っていた気球が不時着し、辿り着いた島。

そこには、雲よりも高く聳え立つ塔が在った。

唯一の目印とも言えるその塔を一先ず目指した一行は、行く手を遮るように広がった毒の

沼地を敬遠し、迂回路を進んでいる最中だった。

島に棲息する魔物はやたら強いせいもあって、3日彷徨ったが、町はまだ見えない。

今日も野宿が決定した時点で、一行は適当な場所で馬車を止め、野営準備を始めていた。



「天空の塔‥だっけ? 御伽噺かと思ってたけど。本当にそうなのかもねえ‥。」

アリーナが小さく吐息を交ぜながら、頬に手を当てた。

天の神様の元まで伸びると云われている高い高い塔。その存在は1つの伝説‥という形で

聞いた事はあった。それがこの島の塔と同じモノかはまだ判断しかねるのだが。

この島に着いてから、やたらと天を気にするよう空を見上げるソロの姿に、[なにか]あ

ると感じているのは彼女だけではなかった。



「うぁ…! ‥‥‥っ!!」

夜半。身体を休めていたソロが、がばっと半身を起こした。

乱れる呼吸を整えようと、大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。その動作を数回繰

り返すと、彼は周囲を見渡した。

寝床として大きなシートを引いた場所。ソロ両隣にはトルネコ・ライアンが。足元には頭

を反対に向けたアリーナ・ミネア・マーニャがすうすう寝息を立て眠っていた。

少し先に揺らめくたき火の赤い炎。

ソロは眠る彼らを起こさぬよう慎重に、立ち上がった。



「ソロ。まだ当番の刻限ではありませんよ?」

炎の前まで来ると、火の番をしているクリフトがのっそりやって来た彼に声をかけた。

「‥うん、解ってる。なんか‥目覚めたら、喉渇いちゃって。」

力無く笑んでみせながら、ソロが彼の隣に腰掛けた。

「なんじゃ‥ソロ。さっき寝床へ入ったばかりじゃろうに。」

炎の向こう側に座っていたブライが、呆れたように笑う。

「あ‥ブライ。当番お疲れさま。‥嫌な夢見ちゃってさ。」

「どんな夢です?」

「あ‥うん。…空がね、重く落ちてくるんだ。苦しくって‥押し潰されるかと思った…」

隣に座るクリフトに訊ねられ、ソロがぽつぽつ答えた。

「ソロはどうにもこの島が落ち着かぬようじゃな。」

「…うん。なんか‥嫌。どうしてかな…」

「何か温かいもの淹れましょうか。」

ぽむ‥と慰めるよう頭を叩いたクリフトが、食器等が積まれた後方へ向かった。

ソロがそんな彼の姿を視線で追いかける。

「クリフト。しばらくここは頼んだぞ。」

そんな彼を眺めていたブライが、すっと立ち上がると彼に声をかけた。

「はい解りました。」

クリフトはブライと目線を合わせ、しっかり頷き返した。



「はい‥ソロ、どうぞ。」

ほわんと甘い香りの湯気が立ち上るカップを彼に差し出しながら、クリフトが微笑んだ。

「ありがと、クリフト。わ‥いい匂い。」

「熱いから気をつけて下さいね。」

そっとカップを手渡すと、彼の隣に腰掛けたクリフトが注意した。

「うん。」

にっこり返したソロが、慎重にカップを口に運ぶ。

「‥‥美味しい。甘〜い。」

コクコクと、火傷しないようゆっくり、ソロはカップを傾けた。

「ホットチョコレートですって。先日街で見かけた時に買って置いたんですよ。

 ソロはコーヒーより、こっちの方が好きでしょう?」

「うん! こっちの方がずっと好きv もっと早く出してくれればよかったのに。」

「すみません。すっかり忘れてまして。

 ポットの横に缶を置いておきましたから、後で当番の時にも使って下さいね。」

「うん。ありがとう。」

ふふ‥と笑みを浮かべると、ソロは隣に座るクリフトの肩に頭を寄せた。

甘えるように身体を預け、ソロは小さく嘆息する。

「…あのね。‥ちょっとだけ、こうしてていい?」

遠慮がちに訊ねたソロが、上目遣いにクリフトと視線を交わした。

「‥こう野宿が続くと、ゆっくりした時間がなかなか作れませんからね。」

そう答えると、彼の肩に腕を回したクリフトが、しっかりと抱き寄せた。

「…この島。オレ‥好きじゃない‥かも。落ち着かないし…なんか、変な感じがする…」

ほう‥と安らいだ吐息の後、ソロはぽつんと不安を口にした。

「変な感じ‥ですか?」

「うん…上手く言えないけど。なんか‥いろいろ違和感があるっていうか…。

 あの天も、なんだかすごく嫌な感じだし…。」              
天→そら

ふっと空を見上げ、彼が苦い顔を見せる。クリフトは柔らかな翠の髪を指に絡めながら、

そっとソロの頭を撫ぜた。癒すような仕草を心地よく享受したソロが表情を和ませる。

「町へ着ければ、この島の事ももう少し詳しく判るのでしょうが‥。現時点で考えられる

のは、あの塔がもしかしたら、天空の塔…かも知れないという事だけです。」

「天空の塔‥。その先に在るのは…竜の神様のお城‥だっけ?」

サントハイムで見た立て札を思い出しながら、ソロがぼんやり返した。

「もしも‥あれが彼の塔だとすれば、近くに町もあるはずなんですけどね。」

「そうなの‥?」

「ええ‥。天空の塔に纏わる文献で、そんな記述を目にしました。」

「天‥か。」

ソロは小さく嘆息すると、残っていたホットチョコを飲み干し、ゆっくりと立ち上がった。

「‥やっぱり嫌な感じ。」

空を仰ぎながら、ソロはひっそり吐き捨てた。

「…勇者らしくない?」

彼と共に席を立ったクリフトに背後から抱きしめられて、ソロが苦く笑う。クリフトは

そんな彼にふうわり微笑むと、否定するよう静かに首を振り、ひっそり耳元で囁いた。

「私も天は苦手ですから。一緒ですよ。」

「‥神官なのに?」

クスクスと声を潜め、ソロが微笑んだ。

「サントハイムの神と竜の神は、きっと仲が悪いんですよ。」

「‥なにそれ? 変な…ん‥。」

クスクス頬を緩める彼を横向かせ、クリフトが口づけた。

ゆっくりと温もりを移すような優しい口接けは、やがて名残惜しげに離れて行った。

「…クリフト。」

「おやすみなさい、ソロ。今度は良い夢見て下さいね。」

キスの合間に彼の手から移動させたカップを片手に、クリフトが柔らかく声をかける。

優しい笑みにつられるよう、ソロも微笑んで返した。

「ありがとう。おやすみなさい。」



寝床へ帰って行ったソロを見送ると、クリフトはカップを片し再び火の番に戻った。

「ソロはもう戻ったのか?」

ややあって。同じくたき火の元へ戻って来たブライが、クリフトへ声をかけた。

「ええ。すみませんでした、ブライ様。」

気を遣って場を遠慮した彼に、クリフトがすまなそうに詫びを入れる。

「いやいや。随分思い詰めた瞳だったからな。お前さんだけの方があ奴も気が楽じゃろ

 思うてな。少しは気が済んだようかの?」

「…はい。この島はどうも苦手な様子ですが…。」

「ふむ‥。リバーサイド以上に緊張しているようじゃの。ミネアも何やら落ち着かぬと

 申しておったが…。」

「はい。彼女はあちらの岩山から不吉な気配を感じると。」

「気流の乱れはそれらが複合しているのかも知れぬな。」

考え込みながら口にする老翁に、青年も真摯な面持ちで頷いていた。





「…ん。‥‥‥‥」

朝を告げる鳥の囀りに誘われて、ぽやん‥とソロは身体を起こした。

窓の向こう、白んで来た藍色の空を見つめる。

「…朝?」

しん‥と張り詰めた空気が、眠る街を伝えてくる。甲高く呼び交う囀りが、目覚めたばか

りの彼らを示していて、忙しく飛んでいる小鳥を蒼の眸に映し、ソロはほんわり表情を和

らげた。



昨日の昼頃到着した街。

一行は真っ先に宿へ向かうと散会した。ソロと同室のクリフトは、風呂と食事を済ませた

後部屋へ戻り、そのまま朝まで眠り込んでしまっていた。

「…おはようございます。」

隣のベッドで眠っていたクリフトが、続いて目を覚まし声をかけてきた。

「おはよう、クリフト。‥すっかり眠り込んじゃったね。」

上体を起こした彼に、ソロが笑んで返す。ソロはすっとベッドを降りると、隣のベッドへ

腰掛けた。

「なんか‥夢すら見ずに眠りこけてた。」

とん‥と彼の肩に寄りかかったソロがぽつんとしゃべった。

「私も似たようなものです。恐らく、他のみなさんも同様だと思いますよ?」

「そうかもね。ここの魔物強いし‥。」

「でも‥無事街へ到着出来ました。」

ふわり‥彼の髪を撫ぜるクリフトが、柔らかく笑んだ。

「うん。…今日は街回らないとね。」

「身体の方は大丈夫ですか?」

「うん。しっかり休めたから。…あ。もしかして、クリフトまだ疲れ取れない?」

「‥大分回復しましたよ。戦闘は‥流石に遠慮したい所ですが。」

「そっか…そーだよね。‥今日一日休みにした方が、みんなも楽かな。

 オレも…本当はそんな気分じゃないし…」

「‥街の中でも、変わりませんか?」

重く吐息をつくソロを案じるように、クリフトが訊ねた。

「例の感じ‥? …うん‥変わらない‥かなあ?」

眉を顰めさせ、ソロが天井を仰いだ。

「…それに、ね。」

ソロはクリフトの腕を掴むと、縋り付くよう自分の腕を回し、絞るような声を出した。

「この島に着いてから、なんかずっと変な感じだったんだけど‥

 ずっと気のせいかな‥とも思ってて。

 でも‥‥やっぱ、変なんだ‥‥‥」

「‥‥‥?」

まとまらない言葉をいつになく緊張した声音で話すソロ。クリフトは俯く彼を窺った。

「どう‥変なんです?」

慎重に訊ねられて、ソロは逡巡するよう上目遣いにクリフトを見た。

「…うん。この辺がね‥なんか痛むってか、‥違和感あるんだ。」

ソロは自らの背を指し示した。

丁度肩甲骨の下辺り‥全体に痛む事もあれば、左右の一点が重く感じる事もあるのだと、

ソロは抱えていた悩みを吐き出した。

「ケガとかじゃ、ないと思うんだけど‥」

促されて、ソロは上着を取り背を向けた。

「どお‥?」

「‥ええ。特に異常は見受けられませんね…。」

白い背を丹念に確認しながら、クリフトが答えた。

「そっか…。やっぱ、気のせい‥かなあ…?」

「今も、痛むんですか?」

「ううん。今は引いてる。」

「そうですか。また痛むようならおっしゃって下さい。」

「うん。」



着替えを済ませた2人は朝食に向かうと、そこで宿の人からこの街について話を聞く事が

出来た。

ゴットサイド。天空に一番近い島…そして、闇の世界にも近い島。

それがこの島について聞かされた最初の言葉だった。



その日はオフと食堂で会ったライアンに皆への伝言を頼んだソロは、クリフトと連れ立っ

て教会へ向かった。

この島へ着いてからのソロが感じる違和感について、そこでならなにか判るかも知れない

と、クリフトが彼を誘ったのだ。今朝のソロの話を聞いて、少しでも早く原因を突き止め

ようと、彼は渋るソロを説得し、目指す場所へと歩を速めた。

「クリフト疲れてるんだから、オレの事は後回しでいいんだよ‥?」

スタスタと歩く彼の隣をついて来るソロが、ゆっくり行こうと袖を引いた。

「私が落ち着かないんですよ。実際この島へ着いてからのソロ、変でしたしね。」

「変…」

きっぱりはっきり言って微笑む彼に、ソロが苦い顔を浮かべて返す。

「ソロだって、気になってるのでしょう? 手掛かりを当たって見て、それでも判らなけ

 れば、明日からの聞き込みに期待しますけど。思いつく場所を訪ねるくらい、手間でも

 なんでもありませんから。」

ふわりと微笑みながら、クリフトは彼の翠髪へ指を滑らせた。

「‥教会だけでいいからね?」

後は明日からでいい‥とソロが念を押し腕を掴む。

クリフトはぽむ‥と彼の頭を撫ぜて、歩調を緩め歩き出した。