その8



「う‥ん…。」

隣で人が動く気配を察したように、目を開けた鷹耶。

彼はぼんやりとした様子でベッドから上体を起こしたオルガを見つめた。

「よお。目が覚めたか。」

鷹耶は眠たそうに瞼をこすりながら、むくりと起き上がった。

「おはよう。…熱、少しは下がったか?」

オルガは彼の前髪を掻き上げると、額をぴたりとつけた。

「…うん。だいぶ落ち着いて来たみてーだな。

 適度な運動は身体にもいいって事か?」

彼がにんまりと笑んで見せると、一瞬頬に朱を走らせた鷹耶が不機嫌そうに睨みつける。

「どこが[適度]だ。‥すげえ腰がだりィ。」

「あはは‥。そーだろうなあ。でも良かった。

 また忘れてるんじゃねーかと、思ったぜ? なんの反応も見せねーからさ。」

「…覚えてるさ。ちゃんと‥。」

「‥飯食えそうか?」

プイと顔を横向け答える鷹耶に、オルガはくしゃりと頭に手を乗せると優しく声をかけた。

「…ああ。」

「んじゃ‥出来たら声かけるな。…と。まだこっちへ運んだ方がいいか?」

ベッドから出て部屋を出ようとした彼は、立ち止まると確認した。

「‥いいよ。そっちへ行くから。」

「OK。じゃ、ちょっと待っててくれな。」

オルガは彼に笑いかけると、食事の支度に向かった。

「‥‥‥‥」

独り部屋に残された鷹耶が、静かに深く溜め息を漏らす。

もちろん、昨晩の事はしっかり覚えてる。

そして‥。その際[忘れて]いた前日の晩の事もしっかり取り戻してしまっていた。

不本意ながら…。

「‥すげえ‥かっこ悪りい…。」

思い出すと情けなくて、居たたまれない思いに包まれてしまう。

鷹耶はバツの悪そうな表情で小さく呟くと、もう一度深く息を吐いたのだった。



「鷹耶。飯出来たぞ。」

台所から彼の声が部屋に届く。

「あ‥ああ。」

「一人で立てそうか?」

ひょいと顔を出したオルガは、ぼんやりとベッド端に座り込んでる彼に再び声をかけた。

「‥‥? どうかしたか?」

「…いや。別に‥。…手貸してくれよ。」

相変わらずの不機嫌顔で、鷹耶が突っ慳貪に話す。

オルガはそんな様子にも慣れたように笑んでみせると、手を差し伸べた。



「…なあ。今日も仕事なのか‥?」

用意されていた食事をもくもくと食べていた鷹耶が、ぽつりとしゃべった。

「ん‥? 今日は休みだぜ。安息日だからな。」

「そっか…。」

鷹耶がほっとしたように息を吐いた。

「やっぱり、一人で留守番は寂しかったか?」

彼が小さく微笑んだ気がして、オルガはにんまりとからかい口調を向ける。

「べ‥別に…。ただ聞いてみただけだ。」

「…ま。そういう事にしといてやるか。」

「‥んだよ?」

「別に。ほら‥スープ冷めちまうぞ。とっとと食え。」

不機嫌そうに顔を顰める彼を促すと、自分も中断していた食事を続けた。



「‥おかわりは?」

器に取った料理を平らげた鷹耶に、オルガが声をかけた。

「‥いや。いいよ。ごちそーさん。」

「…そっか。まあ‥食べられるようになってるだけマシか。

 薬‥ちゃんと飲んでおけよ? 俺は片付けがあるから、先に部屋戻ってていいぞ。」

先に食事を終えていたオルガが食器をまとめ、席を立った。

「やっとベッドから解放されてんだ。もう少し居させろよ。」

「‥いいけどな。おとなしくしてろよ?」

「ああ。」

鷹耶は食事の後片付けをする彼を待つように、そのままテーブルの席に座り、

彼の様子を眺めていた。

顔を合わせると、つい不機嫌さを装ってしまう鷹耶だったが、こうして後ろ姿を

追っていると、不思議に気持ちが和む気がする。

「‥よしと。お待たせ、鷹耶。片付いたぜ。」

使った食器や調理器具を洗い終えたオルガが、手を拭きながらテーブルへとやって来た。

「ま‥待ってなんか居ねーよ。」

「くす‥そうだったっけ? まあいいや。とりあえず部屋に戻ろうぜ。」

彼は小さく笑うと、手を差し伸べた。

不承不承その手を取る鷹耶。

正直、固い木の椅子は少々辛くあったので、立ち上がると少しほっとした。



元の部屋へ移動し、ベッドに腰掛けると、大きな吐息が零れる。

オルガはそんな彼を見て苦笑すると、手を彼の頭に置いた。

「馬鹿だなあ‥。辛かったら先に戻ってればよかったろうに。」

「いいだろ‥別に。」

「今日は出掛けねーっつたろ? それとも‥姿見えねーだけでも不安か?」

「‥‥‥‥」

心配顔で言うオルガに、鷹耶は俯いてしまった。

「なあ‥オルガ。」

しばらく考え込んだ後、彼がぽつりと声を出した。

「なんだ?」

「…昨晩さ、『甘やかしてやる』‥って言っただろ?」

「ああ。」

「それって…まだ有効?」

「ああもちろん。」

遠慮がちに彼を見上げる鷹耶に笑んで応えると、オルガはそっと抱き寄せた。

「…今日だけでいいからさ。ずっと‥そばに居てくれよ。」

頭を預けるように小さく零す鷹耶。

「ああ‥ずっと居てやる。」

しっかりと抱きしめながら、オルガが応えた。

彼の腕の中で、鷹耶の肩が微かに悸える。

小さく嗚咽を殺すように泣く鷹耶を、オルガは静かに抱きとめていた。



こんなのかっこ悪い―――――



そう思いながらも、鷹耶は込み上げてくる感情を抑えきれずに居た。

村を出て以来。こんなに泣いたのは初めてだったかも知れない。

本当はずっと、哀しみと苦しみを誰かにぶつけ、ただ涙にくれたかった。

他人の温もりで癒される事を知ったあの夜から、ずっと――――

凍えきっている自分に気づいてしまったから。

それが[寂しい]と、知ってしまったから。

だから。

誰かに縋って溺れてしまいたかったんだ―――



一時記憶から飛んでいた前日の晩の自分。

子供みたいに泣きじゃくって。とり縋って温もりを求めていた――あの姿は。

高熱のせいじゃない。

―――枷を取っ払った俺自身の、一番持て余してる感情だったんだ!!



鷹耶はこれまでの鬱積を晴らすように、大粒の涙を零していった。





「…悪かったな。変なトコ見せてさ。」

一頻り泣いた後。ようやく落ち着きを取り戻した鷹耶が、静かに彼から離れた。

「構わねーさ。お前は病人というより、怪我人だな。

 こっちに深い傷を負ってる‥さ。」

オルガはそう言うと、彼の胸に指をさした。

「泣けるなら、きっちり泣いた方がいい。こういう時には特にな。

 下手な薬より効くんだって。モーリのじいさんも言ってたぜ?」

「‥そっか。」

「…お前。熱上がってねー? 少し横になっとけよ。」

緩慢に見える動作を訝しんだオルガが額に手を伸ばすと、案じるように声をかけた。

「ちゃんと居てやるからさ。」

「‥うん‥‥‥」

鷹耶は素直に従うと、ベッドに横になった。

「‥‥俺の居た村さ。…小さな村だったんだけど‥」

髪を漉いてくる手を心地よく感じながら、鷹耶がぽつぽつ語り始めた。

「…魔物に襲われて‥皆‥‥。俺だけが護られて、残されちまった‥‥。

 …剣も魔法も皆を護る為に‥彼女を護っていく為に、稽古してきたはずなのに…

 なのに…俺はただ護られただけだった…。」

「鷹耶‥」

「…魔物は俺の命を狙って来て居たんだ。村の皆はそれを知っていて‥‥

 俺だけが知らずに居た―――

 幼なじみの彼女は、俺の身代わりになって‥‥‥殺された!」

「‥‥‥!!」

苦しげに吐き出す彼に、オルガの手が止まる。

身体を震わせながら、鷹耶は続けた。

「あいつは何もかも、初めから承知で…それであの呪文を――

 俺は何も知らなくて…。一番護りたかった女性に護られて‥‥

 俺は…俺は―――――!!」

「それだけ強く託したい想いがあったって事だろ。お前にさ。」

ぽんぽんと軽く肩を叩くと、オルガがしっかりとした口調で話しかけた。

「それに…それだけ大事だったのさ。お前の事が。お前だってそうだろ?」

彼の問いかけに小さく頷いて答える鷹耶。

「…けど。それはやっぱり[重い]よな。そんな風に託されるのはさ…。」

オルガの言葉にぽろぽろ涙を零していく鷹耶の髪を掻き上げると、彼はそっと

瞳の滴を拭い去った。



―――平和だった村を襲い、何もかも奪った魔物達が憎い!!

だが‥‥

沸々と湧き上がってくる激しい憎悪の他に、常に彼を苛んで来たもう1つの感情。

―――哀しみ。そして自己嫌悪…

言葉にすると、より鮮明さが増したソレに、心の悸えが収まらない鷹耶だった。




  
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