『暁闇』




その1





「オルガ‥さん? ルーエルに頼まれて来たんだけど…」

エンドール。街外れにある小さな通りの突き当たり。

石造りのこじんまりとした一軒家を、旅人風の青年が訪れた。

そろそろ夕闇迫る刻。長い影を落とし、扉の前に佇む彼は、突然の来訪者を訝しげに見る家の

主らしき男に、封書を差し出した。

「…ああ。確かにこいつは俺宛のようだな。…ルーエルから?」

受け取った封書の宛名を確認しながら、不思議そうに男が零す。

「あんた‥一体これをどこで…?」

男が扉の前に立つ青年へと視線を移した。

「‥‥‥‥」

「…おいっ?! ど‥どうしたんだ?」

グラリ‥と崩れ落ちてきた身体を受け止める男。その身体はひどく熱かった。

「お前、すげー熱じゃねーか! …ちっ。仕方ねーな。」

男は青年を静かに横たえると、外に顔を出した。

「おいマルコ!」

「なんだい、オルガの兄貴。」

斜め向かいにある小さな広場に集まっていた子供達の1人が、弾かれたようにやって来た。

「急いでモーリのジイさん呼んで来てくれ! 急病人だ。しっかり急かして連れて来い!」

「あいよ!」



「…さてと。床に寝かせとく訳にも行かねーしな。」

踵を返した少年の走り去る足音を聞きながら、オルガは見知らぬ訪問者を溜息混じりに見つめた。

 肩までかかる緑の髪。熱のこもった息を時折零しながら眠る姿は、少し幼さが残っている。

オルガは埃まみれのマントを外すと、彼を抱き上げ寝室のベッドへと横たわらせた。

 キングサイズのベッドの端に寝かせると、楽な格好にさせ、布団を被せる。

 水で湿らせたタオルで軽く顔を拭くと、氷水に浸したタオルを絞って額に宛がった。



街医者モーリが来るまで、とりあえず出来る事をやってしまうと、オルガは台所にあるテーブル

の椅子に腰掛け、青年から預かった手紙を読み出した。

ブランカへ興行に出掛けた筈の恋人ルーエルからの手紙。

 たいして長くもない手紙には、これを運んで来た青年鷹耶について認められていた。

‥‥よろしく頼む‥と。

「…鷹耶‥か。…ったく。あいつもお節介だからなあ…。」

頼る先もなくエンドールへ向かう鷹耶。精神的にも追い詰められた様子の彼を案じたルーエル

は、一番信頼しているオルガに、鷹耶のフォローを頼んだのだ。

旅の途中。ほんの一晩共にしただけの彼を案じて‥‥‥



「オルガ兄貴、連れて来たよ!」

「おう! 待ってたぜ。ジイさん、早速診てやってくれ。」

マルコに続いて入って来た白髪の老人をオルガが促した。

「…ったく。えらく急かされたぞ。一体どんな病人じゃい?」

息を乱しながら不満気な表情を見せるモーリが、真っ直ぐ寝室へと向かって行った。

「マルコ。また使いを頼みたいんだが‥氷屋を呼んで来てくれねーか?」

「あいよ。お安いご用さ、それくらい。他にもなにかあるかい?」

「う〜ん。これで消化の良さそうなもん、なんか買ってきてくれ。」

「了解。んじゃ、ちょっくら行って来んね!」

「ああ。後でちゃんと駄賃弾むからな!」

「へっへ〜。期待してるよ!」

 嬉しそうに出て行ったマルコを送ると、オルガは寝室へと足を向けた。

「どうだい、ジイさん。」

 寝室の入口に身体を預けて立った彼が、気難しそうに鷹耶を診るモーリ医師に声をかけた。

「…この子はどこから来たのかね?」

「詳しくは知らねーが、ルーエルがブランカに向かう途中出会った旅人らしい。」

「一人旅かい?」

「ああ。そんな風に書いてあったな。」

「ふむ…。」

「それが‥どうかしたのか?」

「…こうまで極端な例は初めてじゃが、過労‥じゃろうな。」

「はあ? 過労? だってよ、すげー熱高いぜ? それがただの過労?」

「誰も『ただの』とは言っておらんじゃろう。過労で死ぬ事だってあるんじゃ。」

「…はあ。そうかも知れねーけど‥。」

「とりあえず解熱薬とこの飲み薬を置いて行ってやる。解熱薬は1日2回を限度にな。

飲み薬は毎食後。これに1杯ずつじゃ。あとは水分の補給を忘れずに、安静にしておく事。

明日の晩にでも、もう一度顔出してやろう。何か質問は?」

「…いや。ありがとう、ジイさん。」

「解熱薬は今入れてやったから、熱が下がらなかったら、明日の朝にでも使うといい。」

「ああ。じゃ、明日もまた頼むな。」



 モーリ医師とほぼ入れ違いに、マルコが呼んだ氷屋ヒューがやって来た。

「よお、オルガ。マルコに呼ばれて来たぜ。今日はいかほど必要かね?」

「…こいつにいつも通りと、後はこれにいっぱい頼むぜ。」

氷を入れる器の他、洗面用のタライを用意したオルガが早速と頼んだ。

「これはこれは。…病人かい?」

「まあな。ルーエルの知り合いらしい。」

「おやおや。ルーエルさんの。んじゃ‥ちょっとはサービスしようかね。」

そう言うと、ヒューは呪文を唱え始めた。

カランコロンカラン‥

現れた氷が続々と容器に溢れていく。

「こいつ‥借りてもいいかい?」

台所に置かれた大きな鉄鍋を指すと、頷くオルガを確認して再び呪文を唱える。

大きな塊となった氷を作ると、ヒューは大きく息を吐いた。

「お代はいつも通りでいいぜ。こいつはサービスだからな。」

「いいのか?」

「なあに。『魔法は人の為に使え』‥が師匠の口癖でな。病人相手に金は頂けないのさ。

 また必要だったら、いつでも呼んでくれ。」

「サンキュ。今度一杯奢らせてくれな!」

「ああ。楽しみにしてるぜ。」



「…よし。これでいいか。」

 ヒューが帰った後。早速氷枕を作ったオルガは、寝室に眠る鷹耶の元へ足を運ぶと、枕を替えた。

温くなっていた額のタオルも取り替え、昏々と眠る青年をじっと見つめる。

 苦悶した表情を浮かべ眠る姿は、ブランカから一人旅をして来たとは思えない程、弱々しく

映った。

「オルガ兄貴。買って来たぜ。」

 扉の開く音と同時に声が届いた。

「マルコ。すまなかったな、夕食時に。」

テーブルに買ってきた荷を下ろしている少年に、オルガが声をかけた。

「いいって事よ。おいらと兄貴の仲じゃないか。」

「はは。いつも助かってるよ。」

「ほいコレお釣りね。何がいいか分からなかったから、適当に買って来たぜ?」

「ああ。サンキュ。さっきヒューも来てくれたぜ。いろいろご苦労さんだったな。」

オルガは釣りを受け取ると、労うように頭をくしゃくしゃと撫ぜた。

「ほら。こいつは駄賃だ。あと‥コレ、妹に土産だ。持ってってやれ。」

買い物袋からのぞいてるリンゴを1つ持たせ、オルガが笑んでみせた。

「…兄貴。またなんかあったら呼んでくれな。」

「ああ。よろしく頼むぜ?」

嬉しそうに笑うマルコの頭を軽く叩くと、家路に着く少年を見送った。



 突然の来訪者により、慌しかった一時がひとまず一段落したな…と、オルガは椅子に腰掛けた。

夕食の準備に取りかかろうとしていた矢先の事だったので、自分の食事もこれから作らなければ

ならないのか…そう考えると、大きな溜息が知らず知らず零れてしまう。

「ルーの野郎、帰って来たら貸しは倍にして返して貰うからな。」

見ず知らずの病人の世話を、いきなり押し付けられたカタチとなってしまったオルガが独りごちる。

ルーエルのお節介の原点が自分にある事など気付いてないオルガは、一息ついて立ちあがると、

中断していた食事の準備に取りかかったのだった。





 予定よりかなり手を抜いた食事を済ませたオルガは、湯を沸かし、着替えを持って寝室へと

向かった。

 まだ高熱に浮かされている鷹耶を見ると小さく吐息をつき、汗で湿った服を着替えさせる事

にした。

(ふうん。一人旅して来ただけあるな。)

上着を脱がせ、上半身が顕になると、少し幼さの残る面差しとは違って、それなりに鍛えられた

身体である事が見てとれた。脱がせついでに温かいタオルで汗ばむ身体を拭いてやると、用意

した着替えのシャツを着せる。

 一通りの着替えを終わらせると、温くなっていた氷枕を持って寝室を後にした。

「しかし…まいったな。」

着替えの間は勿論、倒れてから今まで、鷹耶は昏々と眠り続けている。

薬はおろか水分補給すら、ままならないでいる事に気付いたオルガが小さく零した。

氷枕を作り直しながら、どうしたもんかと頭を捻る。

(…お。そうだ‥!)

砕けた氷の破片を手に取ったオルガが思いついたように目を輝かせた。



氷は溶ければ水になる―――



氷枕を宛がい、額のタオルも替えると、オルガは早速小さな氷を鷹耶の口元へと運んだ。

熱がこもった口内に含まされた氷は、あっという間に溶けてしまったようで、次に運ばれた氷を

待っていたように受け取った。

(う〜〜ん。親鳥になった気分だな、これは。)

持ってきた氷の欠片を次々と口元へ運んでやりながら、オルガが苦笑した。



「‥‥‥もっと。」

新たな氷を取りに向かおうしたオルガに、消え入りそうな声が届いた。

「お前…気がついたのか?」

「‥‥水‥」

「ああ。自分で飲めるか?」

ベッドサイドに置かれた水差しからコップへと水を注ぐと、鷹耶の前にすうっと差し出した。

「…動けねー。」

苦々しく零すと、苦しそうに顔を顰めた。

「飲ませてやろうか?」

にやり…と訊ねる男を不思議そうに見た後、鷹耶は小さく口の端を上げた。

「…ああ。頼む‥‥」

 オルガはコップの水を口に含ませると、唇を薄く開いて待つ彼に口づけた。

コクコクと移された水を飲み干すと、唇がそっと離れた。

「まだ飲むか?」

静かに頷くのを確認して、オルガは再び口づけた。

幾度か繰り返され、コップ1杯の水は瞬く間に飲み干されようとしていた。

「これで最後だ。」

そう言って唇を重ねたオルガは、鷹耶に水を与えた。

「‥‥‥?」

含んだ水全てが渡る頃合を計ったように、鷹耶は目の前の男に片腕を回した。

そのまま離れようとしていた唇を引き寄せると、水を運ぶ役割を果たしていた舌を自らのソレで

小さく弾いてみせる。

熱い舌先が、からかうようにオルガを誘った。

「‥‥ん。…ふう‥‥。」

熱い口腔に遠慮なく忍び込んだ舌が、彼を味わうように蠢く。

絡みつく熱い舌が、満足そうに落ちつくと、オルガはそっと唇を解放した。

「…お前の中、すごく熱いな。危うくお前が病人なの、忘れる所だった。」

言いながら。オルガは落ちていた濡れタオルを拾い上げると、氷水へと浸した。

「食欲あるようだったら、何か腹に入れた方がいいんだが…。

どうだ? 食べられそうか?」

絞った濡れタオルを額に戻しながら、オルガが訊ねた。

「‥‥なにもいらねー。」

「そうか。この熱じゃ、食欲わかねーのも無理ねえか。

 そうそう。今更自己紹介‥ってのもなんだが。俺はオルガ。ルーエルの同居人だ。

 奴からの手紙にお前の事が書いてあってな。よろしく頼まれたんだ。

 だから。遠慮なく滞在してくれ、鷹耶。」

「…ルーエルが? あいつが…。」

「さあ。とにかく今夜はもう休め。‥あ。ベッドは半分空けといてくれよ。

 ここにゃ、ベッドはそれきりしかねーからさ。」

笑顔を向けるオルガに、鷹耶もほんの少し口の端を上げた。

「‥‥‥どこへ…行くんだ‥‥?」

寝室を出ようと背を向けた彼に、鷹耶が小さく訊ねた。

「ああ。氷取って来ようと思ってな。…なんだ。寂しいのか?」

心細げな瞳に、からかい口調でオルガが笑いかけた。

「…別に。‥‥んなんじゃ‥ねー‥‥。」

顔を背けた後、瞳を閉ざした鷹耶が、不機嫌そうに零した。

「すぐ戻って来るさ。」

子供に言い聞かせるように、手を伸ばすと頭にそっと触れる。

縋るような瞳をしながら、決してそれを認めようとしない。触れる手を拒まないのに、

自ら甘える事を放棄してるような…

まだどこか少年の面差しを残した青年を、オルガは興味深く感じ始めていた。






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